2019年06月19日
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2019年06月19日
「心のラヴ・ソング(Silly Love Songs)」は、ポール・マッカートニー&ウイングスの、1976年のメガ・ヒット曲だ。アルバム『スピード・オブ・サウンド(Wings At The Speed Of Sound)』からの第1弾シングルで、英国では2位止まりだったものの、絶頂期を迎えていたウイングスのツアー真っ最中の米国では5月22日付けでチャート(ビルボード)の首位を獲得。翌週からダイアナ・ロスの「ラヴ・ハングオーヴァー」にその座を譲ったものの、6月12日付けでトップに返り咲くと、4週もその座を守った(6月19日は返り咲いて2週目となる)。それどころか同チャートの年間ランキングでも第1位に輝いている。つまり、米国のヒットチャートだけを尺度とするならばこの曲はポール・マッカートニーのベスト曲ということになる。この事実はもっと知られていい(かく言う私も、当時から『ラム』や『バンド・オン・ザ・ラン』のいくつかの曲や「ハイ・ハイ・ハイ」の方が好きだったのだが…)。
”silly”は“馬鹿げた”とか“愚かな”という意味の言葉だが、ここでは“くだらない”といったニュアンスか。60年代から、若者たちが反戦の意思や平和への願いをこめたフォークやロックがチャートをにぎわすようになり、さらにロックは体制批判や哲学的な世界にまでフィールドを拡げていった。もちろん、そんな時代にもラヴ・ソングはあった。だが、“甘っちょろい”という批判も少なくなかった。ある評論家は“ポールはバラードしか書けない”とまで言い放ったが、それに反発してポールはこの曲を書いたのだという。
<くだらんラヴ・ソングはもう十分だって? そうじゃないだろ。そいつで世界をいっぱいにしたいという人間もいっぱいいるんだ。いったいそれのどこが悪いっていうんだ?>
歌い出しはこんな感じで、ポールの、そして“ラヴ・ソング界”からの反撃の様相だ。もっと言うと、この曲を書いたポールは次のような思いだったのではないだろうか。
“アイ・ラヴ・ユーが軟弱だって? 軟弱でけっこう。ぼくは何回でも歌ってやる。アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー……”
痛快である。そもそもこんな強烈な開き直りは、軟弱者にはできない。全米チャート首位奪還劇の背景には、“まあ、そりゃそうだよな”と人々を納得させた面もあったのではないか。ポールは、ウイングスのステージを意識してこの曲を作ったのだろう。“これをコンサートで観てみたい”と思わせる曲だ。実際、映画『ロックショウ』におけるこの曲の演奏シーンはお見事としか言いようがない。とくに、妻のリンダ・マッカートニー、相棒デニー・レインとのコーラスは、音楽的にもビジュアル的にも圧巻だ。
SEを組み合わせてループにしたイントロ(ピンク・フロイドの「マネー」を想起させる)に導かれて前奏が入り、歌が始まるが、飛び出すメロディは“♪ソソソソソソソソソソソソソ~ミ~ド~”という極めてシンプルなもの。ビートルズ時代にジョン・レノンが作った「ヘルプ!」や「ジュリア」ばりの同音進行だ。そのバックのポールのベースの、シンプルとは対極の、音数が多く複雑なメロディに驚かされる。歌の音階が上下してベースが“♪ドドドドドドドド…”とルート音を刻み続けたりするのはよくあるパターンだが、その真逆を行っている。つまらないどころか非常に斬新だ。ハイライトのポールとリンダとデニーが別々のメロディを歌う対位法コーラスも、ポールの歌う“ ア~イラ~ヴュ~…”(①)は“♪ソ~レ~ミ~”と上がるメロディ、リンダの歌う “ア~イキャネクスプレイ~ンナフィリン…”のパート(②)は“♪ド~レミファソ~ファミレドララッソドララッ”と上がってから下がるメロディ、デニーの歌う“ハ~ゥキャナテ~ル…”のパート(③)は“♪ミ~・レドシ~・ラソファ~・ミ~ド~レ”とほぼ下がるメロディだが、いずれもだれもが作れそうなシンプルなメロディだ。言うなれば人々の胸の奥底にある普遍的なメロディでもあるのだが、それを組み合わせて構築する豊穣な音世界。天才メロディ・メイカーの面目躍如である。この3つのメロディはどれもまずポールが歌ってみせるが、それを追ってリンダが単独で“I Love You”と歌ったり、ポールが②で”She”と歌っていたのをリンダが”He”に変えて歌うあたりは、愛の交信のようでもある。
断言しよう。ポール・マッカートニー&ウイングスの”Silly Love Songs”は、“Great Love Song”である。愛の歌が全米を制覇した。だが、やがてロック界を席巻する硬派なパンク・ロックの嵐は、目の前に迫っていたのだった。
ポール・マッカートニー&ウイングス「心のラヴ・ソング」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
森山直明(もりやま・なおあき):国体卓球競技長野県代表の経歴を持つ体育会系ビートルズ研究家(断言!体育会系にロック・ファン多し)。『レコード・コレクターズ』『DIG』などに“重箱の隅つつき系”の原稿を多数寄稿。著書に『ザ・ビートルズ・リマスターCDガイド』(ミュージック・マガジン刊/2009年)。
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