2019年08月28日
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2019年08月28日
1973年8月28日、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。麻丘にとっては5枚目のシングルにして、初のチャート1位獲得曲である。
もともとこの曲は「サウスポーはカッコいい」というビクターのディレクター笹井一臣のコンセプトの元に、詞先で制作された。完成した千家和也の詞を目にした麻丘は「えっ、左きき?いいの?」と思ったそうである。時代は70年代。まだ左ききはマイノリティであり、差別的な扱いを受けることも少なからずあり、子供のうちに左ききを右ききに強制的に直されることも一般的だったから、歌い手が躊躇するのも無理のないところ。
この時代の麻丘は多忙で、昼間はテレビ出演や雑誌の取材などを受け、レコーディングはようやく夜中にビクター・スタジオで行うといった状況だった。「わたしの彼は左きき」は当初、その夜中に何曲も録音したうちの1曲だった。他のアイドルも同様で、人気があるほどレコーディングに割ける時間は深夜しかなかったのが、この時代の歌謡界。ちなみに、この時、レコーディングに際して麻丘の歌のレッスンを担当していたのは穂口雄右だったそうである。
麻丘と楽曲の出会いは、深夜にレコーディングしたうちの1曲に過ぎず、いい曲だがシングル化は無理だろうと漠然と思っていたところ、シングルA面に決定したと聞いて驚き、このタイトルで大丈夫なのか、NHKには出られないかも…と心配したと語っている。
筒美京平の楽曲も、オールドタイミーな4ビートを取り入れているが、麻丘いわくノリが良く、一度走り出してしまうと大丈夫だが、サビの手前から「いじ・わる」の個所までは一気にノー・ブレスでいかないと上手く着地できないそうで、現在もディナーショーなどでこの曲を歌う際は大変なのだそう。
さらに、印象的な振り付けも記憶に残る。麻丘めぐみは歌に振り付けを導入したパイオニアで、独自の手の振り、マイクの持ち方など、曲ごとに決まった振り付けを披露するスタイルは、彼女から始まったものである。彼女の振り付けはデビュー曲「芽ばえ」以来、西条満が担当していたが、「わたしの彼は左きき」はすべてのフレーズに振りがついており、マイクを右手から左手に持ち替えたり、同時に脚をペコッとX字にしたり、とにかく忙しい。この振りを麻丘はわずか30分のレッスンで習得したという。
NHKに出られないかも…という彼女の心配をよそに、1973年7月5日にリリースされた「わたしの彼は左きき」はチャートを駆け上がり、オリコン1位を獲得するに至った。加えて年末には日本レコード大賞大衆賞を受賞、さらにNHK『紅白歌合戦』にも初出場と、まさしく麻丘めぐみの代表作ともなったのである。
この楽曲の革新性については、作編曲の筒美京平の腕はもとより、作詞を手がけた千家和也の力も大きい。マイノリティであった「左きき」を全面肯定し、その希少性によるカッコよさという視点で朗らかに歌い上げたことは、時代に対して新しいアプローチで、同じく千家はその2年後、キャンディーズの「年下の男の子」と続く「内気なあいつ」で、甘えん坊で仕方ない彼氏だがそこが可愛い、という男子キャラクター像を初めて歌謡詞で具現化した。
これに加え、口語体を自然に歌謡曲に持ち込んだことも千家の革新性である。「左きき」の2作前、「女の子なんだもん」では、「なんだもん」という、ティーン女子の話し言葉をそのまま歌謡詞に持ち込んでおり、ポップスのリズムに見事に合致した表現方法を獲得している。
ティーンの恋愛の現場を描くアイドル・ポップスの世界で、千家和也が果たした役割は、実の所大変大きなものがある。前述の作品に加え、林寛子の「仮病が上手な男の子」「素敵なラブリー・ボーイ」などの諸作品は「ボーイフレンド紹介シリーズ」と呼ばれるが、いずれも恋人のクセや性格、行動の特徴をずらっと並べ、「そこが好き」と歌う形式である。また、60年代までの作詞家の作品と異なり、いずれも女性が前向きで、活動的なことが特徴。女子が男子を引っ張っていくような、時代的にこれまた新しい男女像が描かれている。自立心のある女性像が歌謡詞に登場してくるのは、60年代終盤の女性ポップスの流行や、70年代からのアイドル興隆期、そして五輪真弓や荒井由実といった女性シンガー・ソングライターの登場など、様々な要因が考えられるが、千家和也が描く女性像は、アイドル・ポップスであっても、従来の歌謡曲であっても、どこかに必ず女性の明確な意志を感じさせる。出世作となった奥村チヨ「終着駅」や内山田洋とクール・ファイブ「そして、神戸」、麻生よう子「逃避行」など、千家作品のヒロインたちは、不幸を抱え絶望の淵に立っても、どこか1つ未来を掴み取っていくのだ。
その一方で、山口百恵初期の一連の作品や西川峰子「あなたにあげる」、殿さまキングス「なみだの操」、さらに麻丘の74年作「ときめき」「白い部屋」など、ちょっと際どい歌詞も得意としている。こういった楽曲も千家和也ならではのものがあり、その百恵作品「青い果実」にしても「ひと夏の経験」にしても、実のところ女性は決して受け身ではなく、自身の意志が明確に描かれているのだ。「わたしの彼は左きき」も「ひと夏の経験」も、実は根源的には「男性の願望」に過ぎないのだが、それをティーンの女性歌手が歌うことにより、特別な印象を与え、アイドルの疑似恋人化が果たされているのだ。時代的に自立心のある女性が増えていくに従い、「左きき」や「年下の男の子」の女性像(男性像)は肯定されて行き、現在のようなポップスのスタンダードに成り得たのである。これを天真爛漫に、100%の肯定で歌ってくれた麻丘めぐみに、どれだけ多くの人が救われただろう、というのは言い過ぎだろうか。
ここでもう1つ、人気・セールス面から指摘しておきたいのが、本作がデビュー5枚目のシングル、という点である。70年代の女性アイドルは、幾つかの例外を除き、大抵は4~5作目、デビュー2年目で最初のピークが訪れる。71年デビューの南沙織は、最初の「17才」が大ヒットするが、4作目の「純潔」が3位、5作目の「哀愁のページ」で「17才」と同じ2位まで上昇し、人気のピークが訪れている。73年デビューの桜田淳子は4作目「花物語」が初のベストテン入り。同じく山口百恵の5作目は、最高3位の大ヒットとなった「ひと夏の経験」である。キャンディーズのブレイクも5作目の「年下の男の子」と、世間への浸透と認知、そしてキャラクターの確立が生まれるのがちょうどデビュー2年目、4-5作目あたりなのだ。80年代に入るとそのペースは上がり、松田聖子「風は秋色」、中森明菜「セカンド・ラブ」と、いずれも3作目で初のオリコン1位を獲得するようになるが、その他のアイドルたちに関しては、初のオリコン・ベストテン入り=すなわちブレイクのタイミングが、河合奈保子は5作目「スマイル・フォー・ミー」、小泉今日子も5作目「まっ赤な女の子」、堀ちえみも5作目「さよならの物語」、早見優も5作目「夏色のナンシー」と、判で押したように一緒。アイドル売り出しの方法論がそこまで変わっていないせいもあるが、新進アイドルにとっては2年目の夏、4-5作目が勝負なのである。その5作目で見事に1位を獲得した麻丘めぐみは、この時点で70年代を代表するトップ・アイドルとなった。そして楽曲の浸透度、寿命の長さは、20曲に及ぶカヴァーの多さと、替え歌にして幾度もCMで起用されていることでも証明されている。今もキラキラと眩しい、ポジティヴ度100%の名曲なのだ。
麻丘めぐみ「女の子なんだもん」「わたしの彼は左きき」「ときめき」「白い部屋」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。
1973年8月28日、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。麻丘にとっては5枚目のシングルにして、初のチャート1位獲得曲である。 text by 馬飼野元宏
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