2015年05月05日

ザ・タイガースvsザ・ワイルド・ワンズ

執筆者:中村俊夫

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今から48年前(1967年)の今日は、ザ・タイガースの2ndシングル「シーサイド・バウンド」の発売日。デビュー曲「僕のマリー」同様に橋本淳(作詞)・すぎやまこういち(作曲)コンビによるこの曲は、50万枚を超えるセールスを記録し、注目の新人タイガースが大先輩であるブルー・コメッツ、スパイダースの人気に肉迫するほどの大ブレイクを果たすきっかけとなった。ライヴでは、間奏時にフロントの4人が“バウンド”と名付けられたステップ(振り付けby土居甫)を披露することでも明らかなように、元々この作品は1950~60年代の日本のレコード会社が毎年夏場の宣伝手段として常套的に用いていた「ニューリズム・キャンペーン」(服飾業界におけるニューモードみたいなもの)の一環として、「バウンド」と名付けられたダンスをでっち上げて売り出されたのである。しかし、当時日の出の勢いだったタイガースにそんな仕掛けは必要なかったみたいで、まさに売れるべくして売れた作品だったと言えるだろう。


その「シーサイド・バウンド」と同年同日にリリースされたのが、奇しくもタイガースの所属事務所(渡辺プロダクション)の先輩でもあるザ・ワイルド・ワンズの3rdシングル「夕陽と共に」。ザ・バーズを彷彿させる12弦ギターをフィーチャーしたフォーク・ロック作品で、植田芳暁のソロ・ヴォーカルをフィーチャーした初シングル曲でもある。以後「青空のある限り」「愛するアニタ」と植田のヴォーカル曲が続くが、当時日本でドラムを叩きながら歌うという構図は画期的(すでに映画の中では石原裕次郎が披露していたが)で、同年6月にカーナビーツがデビューするまではワンズの専売特許とも言えた。


生前の加瀬さんが、ワイルド・ワンズ楽曲の中でもお気に入りの3曲として、「想い出の渚」「青空のある限り」と共に挙げていた作品だけに、彼としては「想い出の渚」に続く2ndシングルに「夕陽と共に」を持ってきて、ビートルズのようにメンバー全員がソロ・ヴォーカルを取れるバンドであることをアピールしたかったらしい。しかし、レコード会社側の意向で「想い出の渚」の二番煎じのような「小さな倖せ」に変更させられ、その結果……加瀬さんの読みの方が正しかったことは言うまでもない。


ちなみに「小さな倖せ」が発売されたのはタイガースの「僕のマリー」と同じ1967年2月5日。もし加瀬さんの思惑通り「夕陽と共に」だったら、どんな結果になっていただろう? ナベプロもまだ海のものとも山のものともわからないタイガースにはさほど期待もしておらず、すでにデビュー曲のヒットで注目を集めていた有望株のワンズに力を注いでいた時期である。なによりも楽曲のインパクトでは互角の勝負である。この同じ事務所の先輩・後輩バンドの力関係がどう変わっていたのか、とても興味深い。少なくともそれまで地方公演などでタイガースを前座に据えていたワンズの立場が逆転させられる日は、もう少し後になっていたことは間違いないだろう。

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