2015年09月07日

20世紀の東アジアの歴史を身をもって生きなければならなかった李香蘭、山口淑子の人生・・・本日は山口淑子の一周忌。

執筆者:北中正和

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山口淑子が亡くなって1年になる。


若い人は彼女のことをあまり知らないかもしれない。

しかし劇団四季のミュージカルやテレビドラマの『李香蘭』なら、見ていない人でも、タイトルくらいは、知っている人が多いだろう。その主人公の李香蘭が山口淑子だ。


と言っても、知らない人はますます混乱するだけかもしれない。

「日本人なの?」「中国人なの?」と。

正解から言うと、彼女は日本人。ただし1920年に中国で生まれ育ち、日本語も中国語もできた。1930年代には李香蘭という名前で中国人の女優・歌手として中国でデビューした。本人は途中で日本人であることを告白したいと願ったが、さまざまな理由で叶わず、中国人の李香蘭のまま終戦を迎えた。そして、日本に協力した裏切者として裁判にかけられ、死刑寸前のところを、亡命ロシア人の友人に助けられ、日本に戻った。


戦後は、日本や香港やアメリカで女優、歌手として活動した後、結婚して引退。1960年代末に山口淑子の名前でテレビ番組の司会者として活動に復帰。さらに70年代から90年代までは国会議員を、その後も、従軍慰安婦関連の「女性のためのアジア平和国民基金」の副理事長をつとめた。


まさに20世紀の東アジアの歴史を身をもって生きなければならなかった人である。

音楽面では彼女は「夜来香」(イェーライシャン)をうたった歌手として広く知られている。この曲は「何日君再来」とともに、戦争中から日本でも愛されてきた中国のヒット曲で、戦後も渡辺はま子、都はるみ、テレサ・テン、天童よしみ、香西かおりをはじめ中国や日本の数多くの歌手にうたわれてきた。


服部良一は日中戦争末期にこの曲をもとにした「夜来香幻想曲」を作り、上海の交響楽団で演奏した思い出を自伝『ぼくの音楽人生』の中で語っている。日中戦争のさなかだったが、上海の租界では、日本人と中国人がかろうじてそんなふうに音楽を共有することもできたのだ。

しかし日中戦争末期、対立する国と国のはざまで、国籍を偽って活動しなければならなかった彼女にかかった重圧は、とてつもなく大きなものだったにちがいない。そして当時の辛い体験が70年代以降の議員時代の外交関係の仕事にも生かされたにちがいない。


共産党政権下の中国では、彼女の歌は長い間禁止されていた。それを再び広く知らせたのは80年代のテレサ・テンのヴァージョンだが、当初は彼女の歌も好ましくないとされた。しかし時代は変わり、「夜来香」や「売糖歌」など李香蘭が有名にした曲のいくつかは、いまでは中国でもスタンダードなナツメロ(老歌)になっている。


クラシックを習っていた彼女の歌声は、よく澄んだ可憐なソプラノで、中国風の高音のメロディによく合う。40年代に発表されたオリジナルの音源は香港のレーベルから復刻されているが、ラテン系のリズムにのったオーケストラ演奏は驚くほど都会的に洗練されていて、いま聞いても新鮮だ。


90年代に香港のサンディ・ラムが『ワイルド・フラワー(野花)』でポップな感覚でカヴァーしたヴァージョンも忘れられない。

山口淑子

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