2015年12月16日

クラシックと大衆音楽に橋を架けた男 作曲家:山本直純

執筆者:不破了三

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本日、12月16日は、作曲家:山本直純の誕生日。この忘れがたい昭和の大作曲家が2002年に世を去ってから、もう既に13年の月日が過ぎたことになる。


作曲家・指揮者の山本直忠を父に持つ直純は、幼児期から徹底的な英才教育を受け、東京芸術大学作曲科で池内友次郎に師事。後に指揮科に転じて渡邉暁雄にも学んでいる。共に音楽を学び、しのぎを削った仲間たちには、林光、三善晃、小澤征爾、渡辺岳夫、岩城宏之などの面々が並ぶ。その後の音楽家生活では、それまで学び続けてきたクラシック音楽というフィールドを軽々と飛び越えながら、数々の名曲、名演、名フレーズを生み出していくことになる。


大学在学中よりテレビ・映画音楽に手を広げ、赤木圭一郎主演の日活映画『拳銃無頼帖』シリーズ(1960)、鈴木清順監督作『肉体の門』(1964)、『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』(1966~1990/日本テレビ系)の雄大なテーマ曲、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976)などの音楽を担当。また、特撮番組『マグマ大使』(1966/フジテレビ系)、『怪奇大作戦』(1968/TBS系)、東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放映されたテレビドラマ『ハレンチ学園』(1970)、アニメ作品『新オバケのQ太郎』(1971)、『ゼロテスター』(1973)など、子ども向け番組でも印象深いサウンドトラックを残している。


しかし、多くの日本人の 心に刻まれている彼のメロディといえば、なんといっても、渥美清主演『男はつらいよ』の主題歌「男はつらいよ」ではないだろうか。山本直純はフジテレビ系で放映されたテレビドラマ版(1968)の時代から音楽を手掛けている。翌1969年から始まる劇場用映画シリーズでも引き続き主題歌として採用され、1970年にはクラウンよりシングル盤も発売されている。『男はつらいよ』という作品の趣向や、渥美清のキャラクターにピッタリと寄り添うよう編み上げられたこの名テーマは、メロディ、アレンジ、演奏楽器の選択に至るまでが、およそクラシック出身の作曲家とは思えない、一般大衆の琴線に触れる情感に包まれている。そうでなければ、シリーズ最終作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995)までの全48作品/26年間を通じて、一度も変更されることなくオープニングテーマ曲を勤め上げることなど、決してできなかったはずだ。


また、積極的にテレビ番組などにも出演し、「音楽家」という高みからではなく、我われと同じ目線で優しく分かりやすく語り掛けてくれる彼の姿も特に印象深い。そうした活動のベースとなっていたのが、企画、音楽監督、司会を担当した、テレビマンユニオン制作、TBS系で放送された音楽番組『オーケストラがやって来た』(1972~1983)だ。ヨハン・シュトラウスII世の「常動曲」のメロディに乗せ、「♪オーケストラがー やって来たー」と会場全体で唱和、手拍子するオープニングをご記憶の方も多いことだろう。番組内容はといえば、「オーケストラ」をテーマにしつつ、ポップス、ジャズ、歌謡曲、演歌をも等価に扱い、果てはお笑い芸人や漫画家までを取り込んでいく驚くべき懐の広さ。昭和40~50年代、まだまだ高尚な世界のものとして、お高く留まった印象の強かったクラシック音楽を、この番組を通じて大衆の興味のド真ん中に堂々と横付けしてみせた彼の功績は、計り知れないほど大きい。


黒ブチメガネのヒゲ面で、髪を振り乱して指揮棒を振るう気取らない風貌。ガハハと高らかに笑う笑顔が印象的な飾らない性格…。「♪大きいことはいいことだ~!」と、気球に乗ってノリノリで指揮する『森永エールチョコレート』や、「♪戸締り用心 火の用心」の歌に乗せ、纏(まとい)を振りながら街を練り歩く「日本船舶振興会」など、強烈なインパクトを放ったCMでの姿も忘れがたい山本直純。しかし、そうした豪快なキャラクターの裏側で、クラシック音楽の世界と大衆音楽の世界の間に橋を架けるという、戦後日本の音楽界において、誰も成し得ていなかった繊細かつ偉大な仕事を見事にやり遂げていたこと…… これはけっして忘れてはならないだろう。

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山本直純

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