2016年06月08日
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2016年06月08日
1969年1月に結成されたブルース・ロック・バンド「ブルース・クリエイション」を母体とするクリエイションは、72年の春にロンドンに渡り現地のバンドに参加しながら本場のロック・シーンを目の当たりにしてきた竹田和夫(ギター)が、大沢博美(ヴォーカル) 、松本繁(ベース)、樋口晶之(ドラムス)と共に1972年9月に結成したバンドで、ブルース/R&Bをベースにしたハード・ロック・サウンドと海外マーケットをも視野に置いた英語詞オリジナルを主軸に活動をスタート。73年5月にはギタリストの飯島義昭を加えてツイン・リード・ギター体制のバンドに進化していった。
1973年8月、来日したマウンテンの前座を務めた彼らは、マウンテンのプロデューサーでありベースとヴォーカルを担当するフェリックス・パパラルディと運命的な出会いを果たす。後年、竹田がインタビューで語っているが、この時パパラルディはクリエイションに「海の向こうには大きな世界があるのに、日本に閉じこもっていてはダメだ」と海外進出を促したという。また、竹田のギター・プレイを聴いて、かつて自分がプロデュースしたクリームのエリック・クラプトンを想い起こしたとパパラルディ自身も語っている。しかし、近い将来一緒に活動する間柄になるとは両者とも夢想だにしなかったようだ。
73年10月に大沢が脱退し4人編成となったクリエイションは、翌74年9月から内田裕也との東芝EMIの石坂敬一ディレクター(当時)のプロデュースでアルバム制作を開始。翌75年6月5日に遅いレコード・デビューを飾った。この年は、それまでアンダーグラウンドで活動していた日本のロック・バンドたちが続々とレコード・デビューして表舞台に躍り出て来た重要な年でもあり、それを象徴するような大規模イベントが、同年8月3~9日にかけて札幌・名古屋・京都・東京・仙台とツアー形式で開催された『ワールド・ロック・フェスティバル』だった。
クリエイションは、四人囃子、カルメン・マキ&OZ、イエロー、ニューヨーク・ドールズ、ジェフ・ベック等と共に出演。さらにフィナーレを飾るジョー山中とフェリックス・パパラルディの共演ステージのバッキング・メンバーとして、森園勝敏、近田春夫たちと共に竹田と樋口も参加することになり、パパラルディと2年ぶりの再会を果たす。すでにこの時点で、両者による共演アルバム制作のプロジェクトは進行しており、この年の10月には、マサチューセッツ州ナンタケット島にあるパパラルディの自宅スタジオでレコーディングを開始。ここで約1カ月に亘って作業した後、ニューヨーク州ウッドストックのベアーズヴィル・スタジオに移動して再び1カ月に亘るレコーディングが行なわれた。
プロデュースはパパラルディと夫人のゲイル・コリンズ(収録曲全9曲中8曲の作詞も担当)。エンジニアは、エリック・クラプトンのライヴ・アルバム『E.C.Was Here』(75年)を手がけたラルフ・モス。ゲストとして、ポール・バターフィールドがアルバムのオープニングを飾る「She’s Got It」にブルース・ハープで参加している。パパラルディは全曲のヴォーカルの他、数曲でベース、キーボードも弾いている。アレンジ等にも積極的に関わっており、必然的に彼のカラーが前面に押し出された作品に仕上がった。
こうして完成したアルバムは『クリイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』という何の変哲もないタイトルが付けられ、76年4月5日にリリース。前年のミカ・バンド『黒船』『Hot Menu』に次ぐ、外国人プロデューサーを迎えての日本のロック・アルバムということで話題を呼び、オリコンのアルバム・チャート8位まで上り、4月24日に日本武道館で開催されたパパラルディ+クリエイションのお披露目コンサート(ライヴ録音され2007年にCDで初音盤化)も成功裏に終わった。そして、いよいよニューヨーク、LA、シカゴ、ボストン等を廻るツアーがスタートする日に、アルバム『クリイション・ウィズ・フェリックス・パパラルディ』が『Felix Pappalardi & Creation』のタイトルで、A&Mレーベルを通じて全米とカナダで発売された。今からちょうど40年前の今日1976年6月8日のことである。
米国人と一緒に日本人がブルース・ロックを演奏するという物珍しさもあってか、全米各地でこの“日米混成バンド”は注目され、現地の音楽メディアにも大きく取り上げられたが、ツアー終了後、両者は再び各々の活動に戻る。クリエイションは77年3月5日に3rdアルバム『ピュア・エレクトリック・ソウル』(収録曲「See You in the Night and Leave You at Dawn」はパパラルディに捧げた曲)をリリース後、山内テツを加えオーストラリア・ツアーを敢行。その後はメンバー・チェンジをくり返し、音楽的にもジャズ/フュージョン色が濃くなり、81年にシングル「ロンリー・ハート」が初のオリコン・トップ10ヒット(8位)となってからは、竹田以外のメンバーは流動的なユニットとして84年まで機能していった。
一方のパパラルディは、79年にA&Mよりソロ・アルバム『Don’t Worry Ma』をリリースするが、83年4月17日に女性問題のトラブルから妻ゲイルに射殺されるというショッキングな最期を遂げている。享年44歳だった。
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