2016年05月01日

[第6回読者投稿コラム]1975年の3月31日、かまやつひろしの「我が良き友よ」がオリコンのシングル・チャートで1位を獲得 text by 六條浩和

執筆者:読者投稿

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1975年3月31日は2月に発売された「ムッシュ」の愛称で知られるかまやつひろしの、「我が良き友よ」が、オリコン・シングル・チャートにて1位となった日。鑑みれば、1970年12月をもって解散した、スパイダースのメンバーのソロ・シングルでも唯一シングル1位にもなった曲で、当然ムッシュにとって最大のヒット曲となった。


日本におけるシンガー・ソングライターの先駆者として知られるムッシュだが、この「我が~」の作者は'70年代を象徴する男、吉田拓郎だ。後輩ながら無二の親友として公私の付き合いのある拓郎とは、前年に連名で「シンシア」を発売してヒットさせている。言わずとしれたアイドル歌手、南沙織のトリビュート・ソングだ。


翌年発売され大ヒットした森田公一&トップ・ギャランの「青春時代」とは、当時既に廃れつつあった「バンカラ」を懐かしむ点では類似性が見られるかもしれない。何番もある歌詞は寮歌のようだ。なお、ロック界で随一のおしゃれを自認していたムッシュにとっては、「腰に手ぬぐいぶら下げた」男の歌には抵抗があったらしい。


元々はアルバム『あゝ我が良き友よ』の先行シングルとして発売されたもので、拓郎と同様のフォーク・ロック界の後輩のミューシャン達の楽曲提供により構成された企画盤である。面白いことに吉田拓郎も'98年の「Hawaiian Rhapsody」というアルバムで、同様のコンセプトで拓郎より主に若いミュージシャンの提供作品を歌っている。


元はっぴいえんどの松本隆-細野晴臣の「仁義なき戦い」、大瀧詠一の「お先にどうぞ」などの提供曲もある。「お先に~」などでは同年デビューしたシュガー・ベイブによるコーラスも聴くことができる。遠藤賢司の「OH,YEAH」、井上陽水の「ロンドン急行」は陽水自身の「二色の独楽」に収められていた曲だ。


しかし、このシングルだが、近年において圧倒的に人気のあるのは、B面の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のほうではないだろうか。ラップといおうか、トーキング・ブルース風の「語り」を主とした歌詞で、楽曲のスタイルとして、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」との類似性がなくはない。


ムッシュの少々虚無感のある人生観が投影されている。来日していたファンク・バンド「タワー・オブ・パワー」によるアレンジと演奏で、Bm9-E9を繰り返すジャズ・ロック・テイスト、ラストのムッシュのスキャットもカッコいい。'90年代あたりから、アシッド・ジャズ好きやクラブDJから熱烈な支持を受けて人気が出てきた。今では アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング曲「奴らの足音のバラード」とともに、ムッシュの代表曲になっている感がある。


ムッシュ自身も好んで再演しているようで、最近ではKENKEN、山岸竜之介とのバンド"LIFE IS GROOVE "名義での活動をしている。孫のような年齢のミュージシャンと共演するムッシュのフット・ワークの軽さ、センスには実に驚きだ。


ムッシュことかまやつひろしは、長い音楽人生でGSのスパイダース、ジャズ・ユニット、フォークなどとスタイルをころころ変えているデラシネ(根無し草)であるようにいわれるが、実際はルーツであるカントリーを基点にしていながら、時代を読むトレンド・ウォッチャーとしてのバランスを長年貫いているといえるのではないだろうか。そして、多くの後輩に慕われる「我が良き友」に恵まれたミュージシャンと呼べるだろう。

あゝ、我が良き友よ かまやつひろし

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