2016年11月22日

11月22日は73歳の誕生日。尾藤イサオの意外なロックンロールとの出会い

執筆者:森島睦

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11月22日はロックンロール歌手、尾藤イサオの73歳の誕生日だ。

彼ほど世代ごとに印象が違う歌手も珍しい。彼と同年代は“プレスリーをカバーするロカビリー歌手”。60代は、「悲しき願い」(1964年7月発売)で大ヒットしたロック歌手。50代は『あしたのジョー』の主題歌を歌っていたアニソン歌手、なかには、市川崑監督の映画『股旅』でショーケンと共演したり、大河ドラマにも出演する俳優として彼を想い浮かべる人もいるだろう。それは、長きにわたって多彩な活躍をしてきた証なのである。


歌手デビューは1962年6月。渋谷のジャズ喫茶「テアトル」のステージを踏む。そこでの人気ぶりがテレビのプロデューサーの目にとまり、たちどころに数々の歌番組に出演する。63年1月、「日劇ウエスタン・カーニバル」にブルー・コメッツのボーカルとして初出演。2月には、銀座の音楽喫茶「ニュー美松」で開催されたプロのロック・シンガーとバンドによる「プロ・ロック・コンテスト」の歌手部門で1位に輝く。さらに5月に開催された第20回記念「日劇ウエスタン・カーニバル」では、待望のエルヴィス・プレスリー賞を獲得。同年3月の「ミュージック・ライフ人気投票」では36位で初登場。その後、64年3月には18位、翌65年は7位に。あっという間のベスト10入りを果たした。歌手デビューからわずか2年足らずの間に、新人らしからぬステージ度胸と歌唱力で大変な活躍ぶりを見せたのである。


尾藤イサオは、幼少にして両親を亡くしている。その父が寄席芸人だったこともあり、10歳の時に大神楽芸人、鏡味小鉄の内弟子になる。それから16歳まで、鏡味鉄太郎の芸名で曲芸師をやっていた。内弟子見習いも3年目に入ったある日、鉄太郎ことイサオ少年に、その後の人生を大きく変える事件が起きる。


師匠のお使い事を済ませた帰り道に、通りがかった蕎麦屋の暖簾越しに、それまで聴いたこともない、魂を揺さぶるような刺激的な歌声が聴こえてきて、思わず店内へ。それはラジオから流れていたエルヴィス・プレスリーだった。その歌声に全身がしびれ、立ちすくんでしまったのである。もちろん、プレスリーなんて名前も知らない。家に帰って、耳に残る記憶を頼りに「ユアヒットパレード」「S盤アワー」「L盤アワー」などのラジオ番組をむさぼるように聴くうちに、それはプレスリーが歌う「ハートブレイク・ホテル」だとわかる。13歳の少年は、蕎麦屋の一件以来、「もう曲芸じゃない、エルヴィスだ、プレスリーだ、ロカビリーだ」と思い込むようになる。それは1956年。まさにエルヴィスがデビューした年だった。尾藤曰く、「僕の“神様”、プレスリーと出会ったのです!」


その後しばらくは、プレスリーの歌を聴き、姿形を夢想する日々が続いたが、『やさしく愛して』『さまよう青春』など、次々と公開される映画を拝むように観て、神様の存在を確実なものにする。さらには自らの舞台のBGMに「監獄ロック」などを持ち込み、羽織袴の伝統的な衣装を細いマンボズボンに変えて“ロカビリー曲芸”と銘打つ始末。この当時の修行経験が、後の舞台での身のこなしの良さに活かされていることは言うまでもない。


鏡味小鉄の内弟子も、あと1年で年季が明けるという1960年に、アメリカで“ジャパニーズ・スペクタクルショー”という興業があり、鏡味社中の一員として約1年間渡米することになる。興業の合間に、ナット・キング・コール、フランク・シナトラのステージを観ることもできた。なかでもサミー・ディビス・ジュニアのエンターテイナーとしての凄さは、鏡味鉄太郎から尾藤イサオになる決心を確かなものにした。帰国した1961年3月。帰国報告、年季明けの挨拶と同時に曲芸師を辞めて歌手になりますと宣言。驚く師匠を尻目に、さっさとブルー・コメッツのプロダクションの扉を叩いたのである。


歌手デビューからいっきに人気シンガーの仲間入りを果たしたのだが、レコードデビューは1964年2月。映画『三文オペラ』の主題歌「Mack the Knife」(ボビー・ダーリン)のカバーで「匕首マッキー」が第1作だった。続く4月には「淋しいだけじゃない」、6月は「ベビーに逢う時」、そして7月には、大ヒットとなる「悲しき願い」を発売。続く12月の「悲しきパラダイス」以降、66年11月の「ワーク・ソング」まで、カバー盤を中心に9枚のシングルを発売する。その間、64年、65年には、内田裕也とコンビを組んで『ロック、サーフィン、ホット・ロッド』(デュエット4曲、尾藤ソロ4曲、内田ソロ4曲。演奏:ブルー・ジーンズ、ブルー・コメッツ)と『レッツ・ゴー・モンキー』という、当時のマージー・ビートやロックンロール、R&Bなどを盛り込んだアルバムも出している。GSブームが到来する前に、このようなラインナップのアルバムを出すというノリとセンスは、当時の洋楽ファンも注目した。


筆者は、2014年1月に、尾藤イサオが「ザッツ・オールライト」と「ワンナイト」を歌うのを聴いた。トークショーに使ったマイクと生ギターの伴奏だけの場だったが、そこにはプレスリーを心から敬愛するロック・シンガーがいた。

大神楽の曲芸師から重ねた芸歴は60余年。現在もまだ、ライヴステージやミュージカルでロカビリーやロックのレパートリーを披露するバリバリ現役のナイスシニアなのだ。


≪著者略歴≫

森島睦(もりしま・むつみ):編集者。80年代の「ホットドッグ・プレス」誌の編集者を経て、スポーツ、クルマ、旅、テレビ番組情報に至るまで、約40誌に及ぶ生活実用情報誌の企画制作に携わる。昭和歌謡をこよなく愛する編集者でもある。

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