2017年06月30日
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2017年06月30日
ジャッキー吉川とブルーコメッツが歌入りオリジナル曲による10枚目のシングル盤として「草原の輝き」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)をリリースしたのは、1968年6月30日のことだった。
1966年3月に発売された「青い瞳」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)のヒットでグループサウンズ(GS)時代の幕を切って落としたブルコメは、1967年には代表曲である「ブルー・シャトウ」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)に続き、「マリアの泉」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)、「北国の二人」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)と大ヒットを連発して、同年12月には「ブルー・シャトウ」で第9回日本レコード大賞を受賞する一方、NHK紅白歌合戦にも2年連続での出場を果たし、GSブームを牽引するバンドとしてその地位を揺るぎないものとしていた。
しかし、1968年に入ると、ブルコメと並ぶ老舗グループとしてGS時代の基盤を築いた田辺昭知とザ・スパイダースと共に、人気の面ではザ・タイガースやザ・テンプターズといった後発の若手グループの後塵を拝する事態が生じ、1月に発売された「心の虹」(作詞:橋本淳/作曲:井上忠夫)、4月にリリースした「白鳥の歌」(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃)は、何れも、レコードセールスの面でも勢いの衰えが否めないことを印象づける結果となった。
「白鳥の歌」では、当時、井上忠夫が敬愛していた平尾昌晃を作曲に起用し、シングル盤A面の歌入りオリジナル曲としては初めて井上忠夫以外の手になる楽曲をリリースしたことも、事態の打開を図りたいという制作側の意向を感じさせるものだった。
ちなみに、「草原の輝き」が発売された約1週間後の1968年7月7日付のオリコンチャートでは、ザ・テンプターズによる「エメラルドの伝説」(作詞:なかにし礼/作曲:村井邦彦)が1位を獲得し、6位にパープル・シャドウズの「小さなスナック」(作詞:牧ミエ子/作曲:今井久)、9位にザ・タイガースによる「花の首飾り」(作詞:菅原房子・なかにし礼[補]/作曲:すぎやまこういち)がランクインしている。「エメラルドの伝説」は、4月15日付から5月27日付まで7週連続で1位をキープした「花の首飾り」に続いて、GSによる2曲目のヒットチャート・ナンバーワンとなった。
「草原の輝き」は、昭和の歌謡シーンに確固たる足跡を残したヒットメーカーの筒美京平が編曲を担当。その管弦を見事に操る壮麗なオーケストレーションは、従来のGS楽曲にはみられなかった斬新さで、井上忠夫は「GSというとコンボ形式のため、いろいろと制約があるが、それを飛び出してもっと広々としたオーケストラの良さみたいなものを表現してみたかった」と曲づくりの狙いを説明している。
オリコンチャートの最高ランクが15位にとどまったことから、レコードセールス的には必ずしも成功とは言い難い「草原の輝き」だが、その曲づくりのアプローチに加えて、ブルコメによる次のシングル曲が「さよならのあとで」(作詞:橋本淳/作曲:筒美京平)という“歌謡曲路線への転向”第1弾となることも踏まえると、ブルコメにとってだけでなく、GSムーブメント全体にとっても、“分水嶺的なシングル盤”として位置づけられるものかもしれない。
また、日本コロムビアの洋楽レーベル・CBSコロムビアからデビューしたブルコメにとって、この「草原の輝き」は、CBSコロムビア名義で発売された最後のシングル盤となった。
日本の経済成長が加速した1960年代に入ると、国際競争力の強い造船や繊維などの輸出が拡大する一方で、輸入と為替の制限を続ける日本に対し、欧米各国から規制緩和を求める声も高まって、外国企業が子会社や合弁会社を作ったり、株式を取得して日本企業の経営に参加できる「資本の自由化」が実現。1967年7月に施行された第1次資本自由化では、対象となる業種にレコード産業も含まれ、日本のレコード市場に注目していた米国最大の放送会社であるCBSは、戦前から配給契約を結んでいた日本コロムビアがレコード部門独立の意向を示さなかったことから、放送用機器の取引関係があったソニーと合弁企業を設立することで合意、1968年3月にCBSソニーが誕生する。
ブルコメと同じくCBSコロムビアからデビューしていたヴィレッジ・シンガーズはCBSソニーに移籍し、8枚目となるシングル盤「落葉とくちづけ」(作詞:橋本淳/作曲:すぎやまこういち)が1968年11月にCBSソニーレーベルからリリースされることになるが、日本コロムビアにとどまったブルコメは同年11月に「さよならのあとで」がコロムビアレーベルから発売されている。
ただ、「草原の輝き」については、CBSコロムビアレーベルで発売されたシングル盤(レコード番号=LL-10060JC)に続いて、CBSレーベルがソニーに移った後、改めてコロムビアレーベルからもシングル盤(レコード番号=LL-10068-J)がリリースされているため、「草原の輝き」のシングル盤音源としては、CBSコロムビアレーベルとコロムビアレーベルの2種類が存在するという珍しい結果となった。
もう一つ、「草原の輝き」をめぐり見逃すことの出来ない興味深いエピソードも紹介しておきたい。
2014年に公開されたイギリス映画『嗤う分身』(監督:リチャード・アイオアディ)では、この「草原の輝き」と「フルー・シャトウ」「さよならのあとで」「雨の赤坂」(作詞:橋本淳/作曲:三原綱木)というブルコメによる4曲が劇中歌として使われ、話題を集めたことも記憶に新しい。
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの『分身(二重人格)』を奇想天外な不条理スリラーとして映画化した作品にブルコメの楽曲が使われたのは、アイオアディ監督が米国の人気テレビ番組「エド・サリバンショー」に出演した1968年当時のブルコメを見て、ベスト盤のLPを購入するほどブルコメを気に入っていたからだという。アイオアディ監督は、「ブルコメ以外のGSがビートルズに代表されるリバプールサウンドのコピーという印象にとどまる中で、ブルコメだけは独特のセンチメンタリズムを感じる」と述懐したことが伝えられている。
井上忠夫は当時、ブルコメの目指す音楽性について、「日本人のセンチメンタルな音楽は日本人の心であると思う。センチメンタリズムは一つの感情だけれども、そこにはひとつの思想があるのではないか。そういったものが日本人のヒットソングであるということを踏まえて曲を作り、歌っているのです」(ブルコメ・ファンクラブ機関誌『青い彗星』第28号[1968年12月1日発行])と語っていた。
イギリス映画『嗤う分身』にブルコメの楽曲が4曲も劇中歌として使われたエピソードは、井上忠夫の発言が40年以上の歳月を経て思わぬ形で具現化されたとも言えそうで、日本の音楽シーンやGSムーブメントにおけるブルコメのポジショニングを象徴しているかのようだ。
(※本稿の執筆に当たっては、志賀邦洋氏から多大な御教示と貴重な資料の御提供をいただきました)
≪著者略歴≫
鈴木清美(すずき・きよみ):1955年生まれ。新潟県長岡市出身。幼少の頃から叔母や姉の影響で青春歌謡にどっぷり浸かるも、全盛期のザ・スパイダースとザ・タイガースを生で見てGSに転向。周囲の反対を押し切って、中1でブルコメ・ファンクラブに入会。1997年にホームページ「60年代通信」を開設、1960年代の大衆文化や生活文化への愛情を注ぎ込んでいる。(※「60年代通信」はサーバー移管のため、限定公開中。2017年4月から本格的に再開予定)
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