2015年09月13日

ビートルズ来日公演で歌われた「ウェルカム・ビートルズ」、フィンガー5「恋のダイヤル6700」、そしてシャネルズ「ランナウェイ」の作曲者といえば?

執筆者:丸芽志悟

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夏の終わりの侘しさに悩まされ続けるこの頃、ついつい愛しくなってしまう筆者最愛のGSサマーソングといえば、ブルー・コメッツ「マイ・サマー・ガール」一択。「横笛」を吹く浜辺のプリンセスに誘われて…橋本淳が描いたこんな絵になるシチュエーションを、今年の夏も結局体験せず終いでした(涙)。


いきなり脱線してすみませんが、今日9月13日はそんな夏のアンセムの作曲者、三原綱木ではなく、ブルコメのメインソングライター、井上忠夫の誕生日。生きていれば74歳を迎えるはずだった。今回は、そんな彼の作曲家としての軌跡にスポットを当ててみたい。


1967年度レコード大賞受賞曲「ブルー・シャトウ」で、作曲家としての輝かしい勲章を手にいれた愛称"大ちゃん"(1981年より正式に「井上大輔」へと改称)は、ブルコメ在籍中から他のアーティストへの作品提供をぼちぼち開始している。1969年1月リリースされた、内田裕也とフラワーズ「ラスト・チャンス」が記念すべき初の提供シングル曲。先がけること3年前の66年6月、同じくユーヤさんがブルコメのオリジナル・フロントマン、尾藤イサオと共にビートルズ来日公演で歌った「ウェルカム・ビートルズ」も大ちゃん作曲なので(同曲は9月にブルコメのファーストアルバムに於いて公式発売されているため、提供作品としては「非公式」とする)、それ以来の繋がりが実現させた楽曲提供だったのではなかろうか。翌月には、西野バレエ団所属のアイドル、江美早苗に「花の誘惑」を提供。「かねてからの約束を守り楽曲提供」とジャケットに記されており、人気者同志の契りの強固さを証明している。後に作詞家を経て、悲劇のヒロインになってしまったのが残念だ…



1972年にブルコメを離脱すると、いよいよ作曲家としての大車輪の活躍が始まる。なんといってもその原動力となったのは、沖縄出身の5人兄弟・フィンガー5だ。70年以来、ベイビー・ブラザーズとして地道に活動していた彼らが、ジャクソン5直系の「魅せる」要素を注入して大変身。阿久悠のイメージプロデュースの元、再出発2作目「恋のダイヤル6700」、次作「学園天国」と連続大ヒット曲を提供。両者とも未だにカバーが相次ぐスタンダードの仲間入りをしている。


その後もアグネス・チャン「美しい朝がきます」、小柳ルミ子「ひと雨くれば」など大スター級歌手に印象的な楽曲を提供する傍ら、山中ひとみ、青木美冴(「町あかりキラキラ」!)、弾ともや(現・あの妖怪ウォッチのおじさん!)など、後にカルトな人気を獲得するB級アイドルの育成も怠らなかった大ちゃんにとっての一大転機は、1980年に訪れる。オールディーズを基調としたサウンドで、かの大瀧詠一御大のサポートを得て知る人ぞ知る存在となっていたシャネルズのメジャーデビュー曲「ランナウェイ」を作曲。オーディオのCMソングとして使われた同曲は、ミリオンに一歩迫る大ヒットになった。あの不運な事件さえなければ、ミリオン突破も夢ではなかったのに…。


この曲がきっかけとなり、洋楽テイストを漂わせた、いや、実際に洋楽アーティストを起用したCMソングの作曲家として、大ちゃんの躍進が始まるのが1980年代以降。ムカデダンスで一世を風靡したマッドネスにストロベリー・スウィッチブレイド(以上車)、デイビー・ジョーンズ(貴金属)、スキャットマン・ジョン(プリン)等の「CMのあの曲」は実は大ちゃん作曲なのだ。自唱によるコーラのCMソングも広く親しまれることになる。


80年代以降は他にもガンダム絡み( 富野由悠季監督とは日大芸術学部で同期だった)の名仕事とか、珍しく過半数の作品を手がけることとなるシブがき隊など新世代アイドルへの曲提供でさらに波に乗ることになるが、2000年5月、悲しくも生涯の幕が下りる。あの大瀧詠一をして「俺には勝てない」と言わしめた名ソングライターの足跡を、いつかまとめて振り返る機会があればと祈りたい。

写真提供 芽瑠璃堂
井上大輔

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