2016年03月07日
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2016年03月07日
1983年の3月7日は、中森明菜の4作目のシングル「1/2の神話」がオリコン・チャートで1位を獲得した日。
前年5月1日に「スローモーション」でデビューした中森明菜は、2作目の「少女A」で初のトップ10ヒットを放ち、3作目「セカンド・ラブ」で初のチャート1位を獲得。この「1/2の神話」がリリースされた際はまさに人気・セールスともに急激な上昇気流に乗った時期であった。
中森明菜はデビュー以来、来生えつこ&たかお姉弟のピュアネスな楽曲と、売野雅勇作詞によるツッパリ少女の中にある清純さを描いた楽曲を交互にリリースしてきたが、この「1/2の神話」はまさに、大人の真似が半分だけ、残り半分は純粋なまま、という二分の一ずつの少女の心情が描かれた内容で、前々作「少女A」の世界を引き継いだものになっている。
作曲の大沢誉志幸は、81年に自身のバンド「クラウディ・スカイ」でビクターから「悲しきコケコッコ」でデビューするも、8ヶ月で解散。ソロ・デビュー前に作曲家として沢田研二に提供した「おまえにチェックイン」がヒットし、「1/2の神話」はそれに続くヒット作となった。ソロ・デビュー直前でまだ全国的には無名だった大沢の起用はかなりの冒険といえるが、ツッパリ歌謡にロック系の作家によるノイジーなサウンドのロック・ビートを当てるという発想は、宇崎竜童が書いた山口百恵の「絶体絶命」や「ロックンロール・ウイドウ」、或いは長戸大幸が書いた三原順子のデビュー曲「セクシー・ナイト」に前例があり、ことに同じ萩田光雄の編曲ということで、百恵ツッパリ路線の再現ともとれる。
また、中森明菜はデビュー当初から一貫して、一般的には無名の作家、或いはアイドル・ポップスへの楽曲提供の経験がない作家に作品を依頼することが多かった。大沢の起用もまさにその流れにあるが、既に2作目の「少女A」で売野雅勇=芹澤廣明コンビを起用して成功に導いた経験が活かされていると言っていい。コピーライター出身の売野、尾藤イサオのバック・バンド“ザ・バロン”を経て「ヤング101」の初期メンバーから“ワカとヒロ”として活動した芹澤ともにこの「少女A」が初ヒット作で、このコンビはその後チェッカーズで大ヒットを連発する。のちの「SAND BAIGE―砂漠へー」の都志見隆、「TATTOO」の関根杏里なども同様で、明菜のスタッフは他のアイドルたちに比べ、新進アーティストの作家起用に積極的であった。また「十戒」の高中正義や「ミ・アモーレ」の松岡直也のように滅多にアイドル歌手に楽曲提供しない作家も登用されることが多かったのだ。
ディレクターの島田雄三は、「少女A」を制作する際、阿木燿子が百恵作品でみせた「捨てゼリフ」を参考にし、売野の歌詞に書き直しを要求し、「じれったい」という単語をサビに入れた。「1/2の神話」でも「いいかげんにして」という見事な捨てゼリフを吐かせている。
ちなみにこの「1/2の神話」は「少女A」と並んで、10代少女のロスト・バージンを匂わせる内容でもある。少女の性行為を暗喩あるいは大胆な表現で歌う“喪失歌謡”は、山口百恵の「ひと夏の経験」や西川峰子「あなたにあげる」、麻丘めぐみ「ときめき」など70年代中期に作詞家・千家和也が得意としていたが、80年代に入ると売野雅勇による明菜の2作で、ツッパリというフィルターを通過して大胆に踏み込んだ内容となっている。この明菜の成功により、所属レコード会社のワーナー・パイオニアはその後、83年デビューの吹田明日香に「聖書」を歌わせ、さらには84年デビューの加藤香子に、「少女A」と同じ作家陣で「偽名」を歌わせ、“ポスト明菜”的な不良少女路線を続けた。喪失歌謡はセンセーショナルなテーマである分、当たれば大きいが、コケるとその後の楽曲がブレまくって目も当てられない結果になる。百恵と明菜がこのラインで成功した理由は、2人に共通項があるからで、それは肝の据わった歌いっぷりと自己洞察力の深さ、そして歌詞に描かれた現実を肯定する強い意志あってのものだろう。
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