2015年10月30日
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2015年10月30日
ジューシィ・フルーツのイリア(奥野敦子)は、日本の女性ギタリストの草分け。本日10月30日はイリアの誕生日である。
イリアは日本初のメジャーガールズバンド「ガールズ」のギタリストとして『野良猫』といういかにも男心をそそりそうなアルバムで1977年にデビュー。メンバー名はリタ(ヴォーカル、後にピンナップス加入)、ジニー(ベース)、レナ(ギター)、サディ(ドラムス)。G.I.R.L.S.と、それぞれの頭文字をとってつけられた。イリアという名は好きだった「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリアキンからとったという。
ソソるのは5人の在籍校。女子学院高校と東洋英和高と、イリアの女子美術大学付属。都内女子高で最もハジけてる3校から結集していた。イリアはそうした磁場から生まれた。
79年にガールズ解散後、、イリアはハルヲフォンのベース高木英一とバンドを組み、それがそのまま近田春夫のバックバンドBEEFとなった。ギターの柴矢俊彦、アマチュアバンド「東京スタイルズ」のベース沖山優司とドラム高木利夫という後のジューシィ・フルーツのメンバーに加え、茂木由多加(元四人囃子)、野毛ゆきお(後の近田春夫とビブラストーンNOGERA)と豪華なメンバーで結成。
79年5月にアルバム『天然の美』を出した近田春夫は、BEEFをバックに本格的なライブ活動をし、9月「ああ、レディハリケーン」を発売。この曲を演奏する回数が多かった近田春夫とBEEFは、近田の活動史上でも最もTVなどの芸能稼働の多いバンドとなった。イリアとジューシィ・フルーツの端正なたたずまいは、BEEF時代にしっかりと近田から芸能魂を叩きこまれたからと思われる。BEEFとジューシィ・フルーツという名称は、両方が近田の好きな映画『ファントム・オブ・パラダイス』からとられている。映画の妖気が、バンドの道のりを平凡ではなくなることを示唆した。
「ああ、レディハリケーン」まで近田はキング・レコード在籍。その後コロムビアに移籍が決定したが、移籍後6か月は移籍先でレコードが出せないという会社間協定があった。近田春夫とBEEFとしてはすぐに出せないので、BEEFのメンバーだけ先に(予告的に)デビューさせちゃえ!という企画が進行。そこで録音されたのが代表曲「ジェニーはご機嫌ななめ」。近田春夫のプロデュース力が最も発揮されたシングルとなった。当時先端のテクノ風だが実はコンピュータではなく、手弾きによるシンセフレーズが日本ニューウェイヴ史上最もキャッチーになった。イリアのファルセットは、男心を大脳皮質レベルで刺激する猫的な声色だった。
オリコン5位、YMO以外では最大の日本のテクノ・ヒットとなったこの曲で、イリアと近田春夫の運命が変わった。もうBEEFに戻ることができなくなったのだ。「ああ、レディハリケーン」は編曲が矢野誠であったため、BEEFとしての録音は結局残っていない。
次作シングルは、ポップス仕様の「なみだ涙のカフェテラス」沖山優司との語り掛け合いが面白い「恋はベンチシート」と強力な両A面的仕様だった。
近田のプロデュースが冴えていたのは、受けていたファルセットをあえて2作目以降はずし、イリアの味わいある地声のボーカルを生かし、和物風味の正統派ポップスに接近させたこと。80年後半には日本のニューウェイヴは早くも沈滞していくのだが、ポップス王道に接近したため、ジューシィはその引き潮を受けずにすんだ。
「十中八九N・G」「これがそうなのね仔猫ちゃん」「二人の東京」と、東京感覚にあふれたスマッシュヒットが続く。「そんなヒロシに騙されて」「萎えて女も意志をもて」と桑田佳祐作品シングルもジューシィ的なセンスが光った。84年解散に至るまで、ニューウェイヴ時に生まれ、GSでも通俗ロックでもない、独自のコンセプチュアルなポップ・ロックを確立したジューシィフルーツ。6枚のアルバムと14枚のシングルを残した。
2009年、イリアと高木利夫中心にジューシィ・ハーフとして活動再開、2013年にはジーシィ・フルーツと名義を復活した。
イリアには2011年「初音ミクsingsニューウェイヴ」というサエキ・プロデュース作で、初音ミクとデュエットしてもらった。イリアのあのファルセットは初音ミクと区別がほとんどつかなかった。つまりイリアのファルセットがなぜテクノに合っていたか?といえば人工音声の誕生を予言していたからだといえよう。また、新たにピンクのブギーから鳴らされたあの優美なギターソロは、当時と全く遜色ない輝きを持っていた。
孤高のライオンのように気高いガール・ロック・ギタリストの女王、それは近田春夫と『ファントム・オブ・パラダイス』の妖気から生まれたのだ。
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