2017年02月16日
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2017年02月16日
流しの双子姉妹として脚光を浴びたこまどり姉妹は、1959年にレコード・デビューして以来、今も現役で歌い続けている。やはり双子デュオで同期だったザ・ピーナッツがとうの昔に引退し、さらにふたりとも世を去ってしまったことを思うと、こまどり姉妹のふたりの息の長さを実感させられる。デビュー55周年の時には新曲を果敢にリリースし、60周年も間近。労苦を重ねたふたりの物語を記録したドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が2009年に公開されて話題になったことも記憶に新しい。2月16日はふたりの誕生日。1938年生まれの姉妹は揃って79歳になる。
北海道厚岸群で生まれた長内栄子と敏子の双子姉妹は、一家で渡った樺太の地で終戦まで過ごした後、戦後は極貧生活を強いられ、帯広や釧路の炭坑町を転々としたという。生活の糧を得るために幼い姉妹も門付を始め、一家で上京した後は三味線片手に浅草を流すようになった。スカウトをきっかけに59年から作曲家・遠藤実に師事し、同年10月「浅草姉妹」でデビュー。当初の芸名は“並木栄子・葉子”であったが、ユニット名を公募した結果、同じコロムビア所属の先輩である美空ひばりに因んで“こまどり姉妹”が採用されることとなる。「ソーラン渡り鳥」を出した1961年以来、ヒットを連ねてNHK紅白歌合戦に7回連続出場という実績を残すも、ファンによる傷害事件や病魔との闘いといった数々の苦難に見舞われ、1973年に一旦引退。しかし10年後に活動を再開してからはずっと現役歌手として活動しており、2008年にはデビュー50周年を迎えるにあたって日本レコード大賞功労賞を受賞した。苦労した時代に食べた屋台のラーメンの美味しさが忘れられず、今でもラーメンが大好物というエピソードはなんとも微笑ましい。
そんな彼女たちの実体験をもとにして作られた曲に「涙のラーメン」がある。1963年に「浮草三味線」のカップリングとしてシングル発売された、ファンの間ではお馴染みのナンバー。曲が生まれたのはテレビ番組がきっかけであった。二人の生い立ちがドラマ化されたフジテレビの『ふたりぽっち』という作品がそれで、30分番組として2クール放送される中で、毎回場面に合わせて作詞の石本美由起と作曲の遠藤実が歌を書き下ろして全部で26曲が作られることとなった。そこで帯広時代の子供の頃の話が描かれたこの曲が好評を博したことでレコードが発売されるに至ったという。ほかに「東京に行こうよ」や「帯広の町よさようなら」など、6~7曲がレコードになった。彼女たちが話をするそばから、その場で作られてすぐにスタジオで録音されていったそうで、職人とも呼ぶべきプロの作家たちの豊かな才能に感心させられる。ちなみにドラマのタイトルとなった「ふたりぽっち」という歌もあってふたりのお気に入りだそうだ。
そして2014年、デビュー55周年を記念してシングル・リリースされた曲が実に18年ぶりとなる新曲「こまどりのラーメン渡り鳥」だった。イントロで聴こえるチャルメラの音色が昭和っ子の琴線を擽る。「涙のラーメン」同様、ふたりにとって想い出深いラーメンを題材に、代表作である「ソーラン渡り鳥」の遺伝子もしっかりと組み込まれて、こまどり姉妹の栄光の歴史にまた新たな1ページが書き加えられることとなった。なお、同じ時に復刻された、デビュー10周年時のアルバム『こまどり物語』は意外なことに、かの酒井政利氏がディレクションを手がけたアルバムだった。後にCBS・ソニーで郷ひろみや山口百恵を手がけた氏だが、コロムビア時代にはこまどり姉妹や島倉千代子を担当していた時期もあったという。「涙のラーメン」や「ふたりぽっち」はこのアルバムで聴くことが出来る。
新しい東京オリンピックの前年、2019年にはデビュー60周年を迎えるこまどり姉妹のふたり。また新曲を携えて元気な歌声を聴かせて欲しい。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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