2016年04月11日

1988年4月11日、美空ひばりの東京ドーム「不死鳥コンサート」が開催。それは生身の歌声の凄まじい存在感を思い知らされた、伝説のカムバック・ギグだった。

執筆者:萩原健太

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生身の歌声の凄まじい存在感ってやつを思い知らされたことがこれまでに何度かある。そのうちの忘れられない一回だった。今は亡き“お嬢”こと美空ひばり、最後の大仕事、1988年4月11日の東京ドーム公演。新設間もなかったドーム球場に5万の観客を集めて行われた伝説のカムバック・ギグでのことだ。


幸いにもその5万分の1として伝説の瞬間を共有することができたぼくは、2階スタンド席最後列から、こみあげる感動を拍手に換えてステージに投げつけていた。堪能した。満足だった。ご存じの通り、このとき美空ひばりの体調はけっして万全ではなかった。いや、むしろコンサートができるような状態ではなかったという。重症の肝硬変と大腿骨骨頭壊死で、マスコミは再起不能とまで報じていた。


が、不死鳥ひばりの歌声はすべてを吹き飛ばした。少しだけ先駆けて行われた東京ドームこけら落とし公演、ミック・ジャガーの来日ステージを視察した美空ひばりは、大会場ゆえの音響の劣悪さに眉をしかめながらも、「私はここできっちり歌を聞かせてみせる」と力強く宣言したという。まさに有言実行。見事だった。特に冒頭の30分。ノンストップ。「悲しき口笛」「東京キッド」に始まる怒涛のヒット・メドレー。乱れなかった。見事なコントロールだった。マイナー・スイング調にアレンジされた「車屋さん」や、スロー・ファンク版「りんご追分」なども実に興味深い仕上がり。息を呑む緊迫感と、驚くほどのなめらかさ、ブルージーなフレージング。文句なしだった。


洋も邦も、静も動も、涙も笑いも、様々なパラドックスが貪欲に、過激に、そして何より自由に渦巻いていた。そのすべてに、会場を埋めつくしたおじちゃんおばちゃんたちは涙を流し、手拍子を送り、お嬢の名を叫んだ。とてつもなく柔軟な受容感覚。演る側も、見る側も。まさにゴッタ煮。感動的だった。ピークだな、と思った。美空ひばりという不世出のシンガーの、そして彼女が無言のうちに象徴している“日本”という土壌の、“日本人”という文化のピーク……。


フィナーレ。39曲目の「人生一路」を歌い終えた美空ひばりは、ステージから客席後方までまっすぐ伸びた100メートルにも及ぶ花道をゆっくり、ゆっくり、観客に手を振りながらひとりで歩いて行った。立っているだけでも全身に激痛が走る中、それに耐えながらの一歩一歩。会場を埋め尽くしたファンは、誰もがこれを新たな旅立ちへ向けての歩みだと受け止め、涙した。この感動的なフィナーレを経て、終戦間もないころから庶民の夢や憧れを体現し続けてきたお嬢は、ついに伝説の女王へと昇りつめた。


花道のゴール地点へと倒れこむようにたどり着いた美空ひばりにとって、しかしこれが命を削りながら到達した終着点となってしまった。ドーム公演後は入退院を繰り返しながらの音楽活動。名曲「川の流れのように」を残しもしたが、時代が昭和から平成へと雪崩れ込んだ1989年の6月、美空ひばりは永遠に旅立った。

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