2015年12月07日

「好きよキャプテン」、本日12月7日は、デビュー40周年となるザ・リリーズの誕生日

執筆者:丸芽志悟

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1960年の本日12月7日、北海道夕張市にて生を受けたのが、燕奈緒美・真由美の双子姉妹、即ち後のザ・リリーズである。2枚目のシングル「好きよキャプテン」で多くの青春男児の心を揺さぶった二人、紆余曲折を経て未だ現役として歌い続けており、その頼もしい「キャプテン」振りにはほぼ同世代として熱いリスペクトを送らずにいられない。


東芝EMIからザ・リリーズが「水色のときめき」を提げてデビューしたのは、1975年6月5日。双子デュオ界のパイオニア、ザ・ピーナッツの伊藤エミが、押しも押されぬトップスター、沢田研二と電撃結婚を発表した奇しくも翌日のことであった。60年代初期以来渡辺プロダクションを背負ってきたザ・ピーナッツ自体の活動も同年4月に終焉を迎えており、その後継者としてまさにうってつけの存在だったのである。太田裕美「木綿のハンカチーフ」の大ヒットで、一躍新感覚作詞家として歌謡曲前線に躍り出た松本隆と、当時のアイドルポップス王道作曲家の一人・森田公一というコンビにより作られたデビュー曲は、オリコンでは75位止まりと目立った成績は残せなかったものの、新たな双子アイドルの誕生は歌謡界にひとすじの爽やかな風を送った。続くシングル「好きよキャプテン」も、チャート成績は最高39位となっているものの、21週チャートインというのはのちのピンク・レディー「モンスター」より一週多い。持続力こそ真のヒットの証である。高校野球シーズンから時期的にちょっと外れていることを考えると尚更だ。


ここで主題からちょっと外れて、双子デュオのカルトな系譜に関してちょっと振り返ってみたい。ザ・ピーナッツとその好敵手・こまどり姉妹は、共に1959年レコード・デビューを果たしており、それ以来双子姉妹デュオというスタイルは地味ながら一つの路線を形成してきた。こまどりを擁する日本コロムビアが、その系統の和風スタイルに則った京ふたり子、すずらん姉妹(後にペア・スズランとして、フェロモン歌謡の大傑作「あげてよかった」を発表)、まつば姉妹などを送り出す一方、新興のミノルフォンからは、英国のトップモデル、ツイッギーの持ち歌をカバーしてヒップ感覚を強調したレモンレモンズがデビュー。彼女たちは後にレイコとミツコとしてフィリップスから再デビューし、あのカルト映画「進め! ジャガーズ敵前上陸」にも出演した。


70年代のアイドル黎明期になると、こまどり路線は一段落し、ビクターからレモン・パイ、CBSソニーからルリーズと、ポップス系双子の登場が相次いだが、実は奇しくも両者とも別名義で双子帝国コロムビアからデビュー済みだったのである。前者の川崎幸子・敏子としてのデビュー盤「くちなしの花」のB面「どこへ行くの」は、後に和製アシッドサイケ歌謡の金字塔として再評価され、後者はつや&みや名義で時代に先んじすぎたエコロジー歌謡「東京が森になったなら」を出している。


キリがないのでこの辺で主題に戻るが、3枚目のシングル「いじわる時計」以後も清楚なハーモニーでアイドル前線を駆け抜けるザ・リリーズの前に、76年夏、ピンク・レディーという女性デュオ界を揺さぶる強敵が出現する。結局81年に至るまで計14枚のシングルを出すものの、2曲目を凌ぐヒットを放てず、自然にフェイドアウト。しかし85年、思わぬチャンスからその名前が歌謡史に再浮上する。とんねるずの大ヒット曲「雨の西麻布」のエンディングで、主題と関係なく唐突に「双子のリリーズ〜」というフレーズが登場するのだ。実はとんねるずがレコーディングしていた同じスタジオで、彼女たちがアニソンのレコーディングをしているところに邂逅したのが、そのフレーズが挿入されたきっかけだったとか。それから20年を経た2005年、本格的にデュオを復活し、地道なライヴ活動を展開中。まさに枯れを知らない永遠のすずらんである。


ザ・リリーズ

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