2016年01月10日
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2016年01月10日
今から48年前の今日1968年1月10日は、ザ・ワイルド・ワンズの5枚目のシングル「愛するアニタ」がリリースされた日。作詞はこれがワイルド・ワンズとの初コラボとなった山上路夫、作曲をリーダーの加瀬邦彦が手がけたこの曲は、元々、同じ渡辺プロダクションの後輩グループ、ザ・タイガースのために書き下ろされた作品だった。
1967年7月7日、タイガースは「可愛いアニタ」というタイトルが付けられた同曲をレコーディングする。当時、彼らは2ndシングル「シーサイド・バウンド」に次ぐ新曲制作の真っ最中で、その2週間ほど前には「モナリザの微笑」「真赤なジャケット」を録り終えたばかりだった。
「~アニタ」も同じく次作シングル候補曲と思われるが、結局3rdシングルとしてリリースされたのは「モナリザ~」と「真赤な~」のカップリングであり、デビュー曲以来、タイガースの音楽プロデューサーでもあるすぎやまこういちの「タイガースのシングルは順に並べるとひとつの組曲となるように作った」という証言にも合致しない作風である。
タイガースとしては初のブラス・セクションを導入した4ビートアレンジの作品で、彼らのそれまでの楽曲とはどこか毛色が違う。シングルA面候補とはちょっと考え難いので、B面候補だった可能性もあるし、タイガースの1stアルバムとして企画されていた幻のスタジオ録音アルバム用にレコーディングされたのでは?という説もある (真相は不明)。
このタイガース版<アニタ>は、彼らが現役活動中は未発表のまま封印されたが、タイガース解散後の73年にニッポン放送の特別番組で初公開され、74年11月にリリースされた2枚組ベスト・アルバム『タイガース物語』のVol.1とVol.2の予約購入特典4曲入りEP(非売品)に収録。90年に10枚組ボックス・セット『ザ・タイガース・パーフェクトCD-BOX』の中で初CD化されている。
タイガース版がオクラ入りとなった後、「愛するアニタ」は内田裕也率いるフラワーズのデビュー曲としてレコーディングされるが、これもお蔵入り。 最後には作曲者の加瀬邦彦の元に戻る。そんな経緯の後、67年11月にワイルド・ワンズによるレコーディングが行なわれるが、これには植田芳暁の友人で以前からワンズのメンバーたちとも顔見知りだった渡辺茂樹(当時16歳)もオルガンで参加。翌12月にはジャズ喫茶のステージで5人目のメンバーとして正式加入し、「愛するアニタ」発売5日後に開催された『日劇ウエスタンカーニバル』も5人編成ワイルド・ワンズで出場しているが、「~アニタ」のジャケットにはまだ渡辺の姿は無かった。おそらくジャケット制作工程に間に合わなかったのであろう。
「夕陽と共に」「青空のある限り」に続く、<歌うドラマー>植田芳暁のソロ・ヴォーカルをフィーチャーした第3弾シングルとなった「愛するアニタ」は、彼らにとって過去最高のチャート・アクションであるオリコン11位にランキング。ワイルド・ワンズのみならず、GSの代表的ヒット曲のひとつとして後世に親しまれていくと同時に、「アニター!」の絶叫を担当したベーシスト島英二が、鳥塚繁樹、植田芳暁に続く<第三の男>としてスポットライトを浴びるという、思わぬ副産物をも産み出したのである。
なお、68年3月にリリ-スされたフィリップス・レコードのGSオムニバス・アルバム『レッツ・ゴー!グループ・サウンド』の中で、テンプターズが「愛するアニタ」をカヴァーしており、松崎由治の情感あふれるソロ・ヴォーカルと独特のギター・プレイが聴きものだ。現在はCDにも収録されているので、ぜひ一聴をお奨めする。
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