2018年11月05日

二度のトラブルを乗り越えて世に出た名曲「想い出の渚」誕生秘話

執筆者:中村俊夫

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1966年5月、すでにリーダーの寺内タケシも抜けた後のブルー・ジーンズを脱退した加瀬邦彦は、ビートルズのようなメンバー全員が楽器を弾きながら自作曲を歌う自作自演スタイルを基本として、当時の洋楽トレンドでもあった米国西海岸のフォーク・ロック・サウンドを取り入れた、今まで日本には類の無いバンドを構想していた。新時代のバンドにふさわしく清潔感のあるフレッシュな感覚を打ち出すという思惑もあって、芸能界の手垢のついたプロ・ミュージシャンは避け、アマチュアからメンバーを人選。同年7月に結成したのがザ・ワイルド・ワンズである。


メンバーは、加瀬(リード・ギター)の他、立教大学の「カントリー・フレッシュメン」で活動していた鳥塚繁樹(ギター)、アメリカン・スクールの「ディメンションズ」でドラムとヴォーカルを担当していた植田芳暁、そしてベースを弾くのは初めてだった島英二の4人。バンド名の名付け親は、加瀬が通う慶應大学の大先輩であり、旧知の間柄の加山雄三だった。


フォーク・ロックを標榜するバンドらしく、最初の音合わせをママス&パパスの「夢のカリフォルニア」でスタートした彼らは、伊東の温泉ホテルでの合宿練習を経て、66年7月30日に葉山マリーナのプールサイドでステージ・デビュー。これを機に8月10日から10日間に亘り同プールサイドのステージに出演したが、これが3カ月後にリリースされることになるデビュー曲の誕生に一役買うことになるとは、まだメンバーの誰も知る由もなかった。


9月に入り、レコード・デビューの話が東芝音工(のちの東芝EMI)から持ち込まれる。自作自演というバンド構想時からのコンセプトにのっとり、さっそく曲作りを始めた加瀬は、自宅でテレビを観ながら寛いでいる時にふと頭に浮かんだメロディーから曲を完成させ、それをメンバーたちに聞かせ、各々に歌詞を作らせた。その中で加瀬が作曲中に描いていたイメージに最も近かったのが鳥塚繁樹の作品で、彼が8月に葉山マリーナのプールサイドで演奏中に見かけたビキニ姿の女性をイメージして書いたものだった。


この鳥塚の書いた歌詞を元に、メンバー全員で新たな言葉を加えながら手直ししていったのだが、サビの部分(「波に向かって~」以降)は、加瀬が高校生の時に作ったオリジナル曲の歌詞からの引用であった。ちなみにそのオリジナル曲は、のちに歌詞を変え「あの雲といっしょに」というタイトルで、ワイルド・ワンズの7枚目のシングル「花のヤング・タウン」(68年7月)のB面に収録されている。


こうして完成したワイルド・ワンズ自作第一号曲は、まだ残暑の残る9月某日に東京・麻布十番にあるアオイ・スタジオでレコーディング。「夢のカリフォルニア」やザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン」を意識して全編に亘り加瀬が奏でるエレキ12弦ギターをフィーチャーし、それに絡む印象的なストリングス(14人編成)のアレンジを手がけたのは、当時加山雄三の一連のヒット曲の編曲でお馴染みの森岡賢一郎だった。植田芳暁は当初ストリングスの導入に懐疑的であったが、実際に完成テイクを聴いてストリングスの優美さに感動し、アレンジの重要性を実感したという。


東芝の担当ディレクターによって「想い出の渚」というタイトルも決まり、あとは発売を待つだけ…のはずだったが、ここで予期せぬトラブルが生じてしまった。東芝の担当ディレクターが「想い出の渚」と同日にレコーディングした「ユア・ベイビー」をデビュー・シングルのA面にすることを提案してきたのである。「ユア・ベイビー」は寺内タケシとブルー・ジーンズ時代に加瀬が作曲し、65年にブルー・ジーンズの6枚目のシングルとしてリリースされた作品のリメイクだった。ブルージーンズ・ファンには馴染みがあり、セールス的にも実績があったので、ディレクター氏としては 売れるための“保険”のつもりだったのだろう。


しかし、それは加瀬にとって二番煎じでしかなく、自分が描いた新グループの構想とも異なるものだった。両者の間で言い争いが勃発し、最後は加瀬が東芝からのデビューを白紙に戻すことまでを仄めかしたため、結局「ユア・ベイビー」はB面に回すことで一件落着…と思いきや、またもやトラブルが発生する。 「想い出の渚」をA面としたシングルのジャケットが出来上がってきたものの、そこで使われている写真は、メンバーが物憂げな暗い表情をしたショットだったのだ。加瀬は変更を要求したが、すでに印刷されて出荷を待つだけの状態だったため、東芝サイドとは10万枚の出荷を達成した時点でジャケットを変更するという条件で手を打った。


そんなトラブルを乗り越えて、今から52年前の今日1966年11月5日にワイルド・ワンズのデビュー曲「想い出の渚」はリリース。発売後10日間で10万枚のセールスを記録し、見事メンバー全員が明るい笑顔で楽器を抱えた写真を用いたジャケットに変更することに成功した。そして、半世紀以上を過ぎた現在もなお、ワイルド・ワンズの代表曲としてだけでなく、日本ポップス史に残る永遠のスタンダード名曲として愛され続けているのである。


ザ・ワイルド・ワンズ「花のヤング・タウン」「想い出の渚」ジャケット撮影協力:鈴木啓之



≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。
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