2018年01月22日
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2018年01月22日
昭和のエンターテインメント・シーンで重要な役割を務めた「日劇・日本劇場」という名前は、この2月5日からは永遠に消えてしまう。
その2月4日までは、旧・日劇と旧・朝日新聞本社の敷地に建てられた有楽町マリオン(有楽町センタービル)の、旧・日劇側の上階に「日本劇場」等の名称を経て、「東宝シネマズ日劇」の名を持つ3つの映画館が存在する。それらは旧・日比谷三井ビルディングと旧・三信ビル(一時、渡辺プロの宣伝部がここに入っており、私もスケジュール取りでよく通った)跡地に建つ「東京ミッドタウン日比谷」内に新設されるシネマコンプレックス「東宝シネマズ日比谷」に移される。しかし、そこでの名称に「日劇」が冠せられることはなく、「日劇・日本劇場」が消えてしまうこととなった。
日劇に関しては、その業績・歴史を紐解くだけで莫大な字数を費やすことになってしまうので、ここでは、日劇における大衆音楽シーンで一つのモニュメントであった『日劇ウエスタンカーニバル』の最後の『ウエスタンカーニバル』、1981年(昭和56年)2月22日から25日に行われた『サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル〜俺たちは走り続けている』のリハーサルの一齣をお伝えしよう。
初日の前日の総稽古(通し稽古というより、音合わせ的な意味合いのリハーサル)、そこでは内田裕也がプロデューサーとしての指揮を振っていた。
私は『週刊平凡』の記者としてリハと本番の取材で日劇を尋ねた。リハの取材に来ているメディアはいなかったと記憶している。
元「ザ・ワイルドワンズ」の担当だったキャップから「“ワンズ”は気のいい連中だから、飛び込みでも取材オーケーしてくれるよ」と言われ、地下の畳敷きの楽屋に飛び込んだ。寛いでいたメンバーから、(仲良しの雰囲気にいっぱいだった)、本当に即オーケーで取材をさせてもらった。楽屋から、階段を登り、音合わせの行われている舞台を見るため客席へと向かった。
この公演のプロデューサー、ユーヤさん・内田裕也が陣取っている客席の2、3列後ろに私は腰をおろした。斜め後ろ席には、ショーケン、萩原健一の一行が陣取っていた。
確か田川譲二のリハの時だった。PA関係の具合が悪いらしく、全体にイライラ感が漂っていた。すると演出をしていたユーヤさんの怒りの声が飛んだ。「こんなPAじゃ、ジュリー(沢田研二)やショーケンは、勘弁しないよ」嫌な感じの緊張感はますます高まっていった。
そのショーケンという言葉に反応して私は、数回の取材で顔見しりであったショーケンの方へと振り返った。彼は私と目が合うと苦笑いの表情を見せた。
ユーヤさんの怒りが一旦おさまると、続いてリハに登場したのは「寺内タケシとブルージーンズ」だった。スタッフが「PAはどうしますか?」と問いかけをした。そこはエレキギターの神様、テリー寺内である。言葉で答えることはなく最前の音合わせでのユーヤさんの言動を踏まえたかのように、エレキギターの真髄「寺内サウンド」を、まだ観客は入っていなかったが4000人収容の日劇の3階席の隅まで届けと響かせた。私には、テリー寺内の細かいサウンドチェックなど気にしないという豪快でウィットあふれる行動でリハーサルの緊張感は柔らかなものへと移っていった。
その時の曲は、おぼろげな記憶では『津軽じょんがら節』だったと思うのだけど‥‥。
因みに私事で、一番の「日劇」の想い出は、柳家金語楼の喜劇を観た事である。
≪著者略歴≫
友野耕士(ともの・こうじ):1948年生まれ。1972年平凡出版(現在のマガジンハウス)に入社。72年から73年まで月刊「平凡」編集部グラビア・デスクに在籍。その後、幾つかの編集部に在籍し、フォーク、ニューミュージックのアーティストから、キャンディーズなどのアイドル、五木ひろしなどの演歌歌手、洋楽のミュージシャンまで、幅広い音楽シーンで取材を行う。その後は「Hanako」編集長などを歴任。
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