2019年02月21日
スポンサーリンク
2019年02月21日
『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』(Alfa ALR-6033)は、1980年2月21日に発売されたYMOの3rdアルバム、そして初のライヴアルバムである。
新曲を含まない盤であるにも係わらず、ブレイク前作2nd『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に次ぎオリコン1位になり、その勢いを示した。さらにこの盤は、その後のYMOサウンドの予言になったのである。
79年10&11月、第1回ワールドツアーのヴェニュー(ロンドン)、グリーク・シアター(ロサンゼルス)、ボトムライン(ニューヨーク)三公演を収録。最後に「バック・イン・トキオ」と79年12月中野サンプラザで行われた凱旋公演のMCが入る。サエキは9月中野サンプラザ・ホールで行われたチューブスのフロントアクト公演を目撃した。
松武秀樹の他に矢野顕子も参加したツアー重要メンバーにギターの渡辺香津美がいる。この盤の最大のトピックは、当時渡辺が所属していた日本コロムビアが収録を拒否したため、ギターのチャンネルがカットされたこと。それは後にダビングされた坂本龍一のシンセサイザーに置き換えられた。
これが日本の軽音楽史上、分かれ目ともいうべき重大事であることを僕が悟ったのは昨2018年暮れのことである。
18年11月4日(日)に放送された『RADIO SAKAMOTO』ではゲストに高橋幸宏が出演、仲の良い昔通りのリラックスしたお喋りで、高橋のソロデビュー・アルバム『Saravah!』のヴォーカルパートの全編新録を行った『Saravah Saravah!』について歓談された。
78年6月発売の「Saravah!」は、その11月発売YMOの1stに先がけた録音。B面1曲目「ELASTIC DUMMY」は、坂本龍一作曲で、ベースも細野晴臣が務め、インストゥルメンタルであるということから、ファンにとっては、YMOのプロトタイプ曲と認識される曲である。その録音に際し起こったという忌憚ないエピソードにノケぞった。
最初「セーノ」でリズム録りをした同楽曲を、いまいち面白みが出ないということで、クリック(=リズムボックス)に合わせて録り直そうということになった。しかし山下達郎のライヴ・セッションでも有名なギターの松木恒秀が、猛反対したと。坂本は、フュージョン、ジャズのミュージシャンはキッチリと後ろのりであり、リズムは正確なのだが、当時は行われていなかったジャストなクリックに合わせるというセッションが生理的に大嫌いだったと分析。ジャズ・ミュージシャンはバック・ビートが身体に染みついているということ。フュージョンの本質とはこの後ろノリにあり、テクノ・ファンにとってYMOの音楽がフュージョンと言われると異和感があったのは、PCとも競演するジャスト・ビートにあったのだ、と氷解した。
イヤイヤながら楽曲に臨んだ松木も、リズムボックスに合わせて生まれ変わった「ELASTIC DUMMY」の斬新な出来を絶賛したというから、胸をなで下ろした。
この曲は前述のようにコンピュータとセッションして生まれたYMOの1st『イエロー・マジック・オーケストラ』の前哨戦で、「ELASTIC DUMMY」でジャスト・リズムに目覚めた3人が、さらにコンピュータにより制御された音群と生音のセッションで1stが生まれたという経過となった。つまり、YMOテクノ・ポップはジャスト・リズムを生音で導き出す超絶テクニックの3人に、さらにコンピュータ音が加わって生まれたサウンドといえる。高橋幸宏を中心とする生音の比率が高いのが、クラフトワークとの違いとなる。
ところでYMOが79年9月に2ndでブレイクする6月、坂本龍一は『KYLYN』を渡辺香津美と共作している。この盤が興味深いのは、A面が村上ポンタ秀一ドラムによるフュージョン勢の録音、B面が高橋幸宏ドラムによるテクノ勢による録音ということ。A、B面ではっきりとノリが違うことは当時のファンも認識できたはず。しかしそれが何なのか? 説明できずモヤモヤしていた人もいたと思う。これで説明できる。A面はフュージョン的バック・ビート、B面はテクノ的ジャスト・リズムの面ということ。世界でも珍しい、フュージョンVSテクノの競演盤だ。
渡辺香津美は、フュージョンとテクノを行き来した希有なギタリストとなった。78年10月のYMOの最大プロトタイプといえる坂本龍一『千のナイフ』にも全面参加。日本のテクノ・ポップ誕生に貢献した坂本の盟友。それだけにテクノ・ファンの愛着もひとしおだった。YMOツアーでの演奏にはみな胸を熱くしていた。テクノリズムに生身のユラギを持つギターで挑んだその緊張感、松木も嫌がった困難なリズム合わせを果敢にこなした。その壮絶なプレイは結局、後にギター収録を許された同ツアーライヴ盤『フェイカー・ホリック』(1991年)などで聴くことができる。盟友同士の成果「ジ・エンド・オブ・エイジア」の官能的なギターソロと共に、「中国女」や「コズミック・サーフィン」などで超絶テクのバッキングが聴ける。
そこにはフュージョンとテクノの融合の夢がまさしくあった。70年代末の話である。しかし、この盤で渡辺のギターカットにより、その夢は重要なタイミングで断裂してしまった。
後に我々は、クラフトワークやYMOのテクノ・ポップを、マイケル・ジャクソンなど黒人が好むという不思議な事実を知ることになる。もしこの時点で、渡辺香津美とYMOの決裂が起こらなければ、黒人音楽を継ぐ新しいフュージョン、ジャズの新形態として、テクノ的なフュージョンがリアルタイムに発展したように思えてならない。
さて1980年初頭、たった2日間でギターとシンセサイザーの差し替えは行われた。できあがったのは、あっけらかんとした、しかし鮮やかなシンセサイザーとドラム、YMO3人の本義の編成による空間だった。それを発売時に聴いた我々は「空間がカッコいい、これが本来のYMOなのかも?」とも思った。
YMOの1stは「キャッチアップ・フュージョン」という帯コピーでスタートした。しかし、ギターをカットしたライヴ盤で、YMOはフュージョンとの訣別を果たしたと言える。
日本ポップス史において、フュージョンのフィールドに受胎したYMOテクノ・ポップの、力強い完全独立宣言となった。さらにそれはギターを全く使わずに録音、テクノ音楽を突き詰めた『BGM』『テクノデリック』の鮮やかすぎる予告となったのである。
≪著者略歴≫
サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットー)を上梓。2018年4月パール兄弟新譜『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。
本日7月9日に72歳を迎えた細野晴臣(1947年生まれ)さん。古希を過ぎてもその活動は活発で衰えを知らない。今年はロック・バンド“エイプリル・フール”の一員として、1969年にアルバム・デビュー...
「こんな天気じゃ店ヒマだから、飲みにおいで」電話の主はポニーキャニオンでデスクをやっていたT女史から。彼女の母上が切り盛りしていたその店は、中野ブロードウェイからすぐの路地裏にあった。その店で待...
映画『ラストエンペラー』はアカデミー賞のベスト・オリジナル・スコア部門で日本人初の受賞者を生み、サウンドトラック・アルバムも映画も世界中で高く評価された。そして音楽を担当した坂本龍一は、世界のサ...
1982年4月5日、坂本龍一&忌野清志郎「い・け・な・いルージュマジック」がオリコンのシングルチャートの1位を獲得した。当時筆者はロンドンレコードの新入社員として宣伝を担当。売上を伸ばしていた写...
1978年11月23日、NHK-FMにて放送開始された音楽番組『サウンドストリート』。その黄金時代といえば、83年から86年までの3年間だろう。佐野元春、坂本龍一、甲斐よしひろ、山下達郎、渋谷陽...
本日、3月13日は、佐野元春の誕生日。63歳になる。佐野元春は1980年3月21日にシングル「アンジェリーナ」(EPIC・ソニー)でデビュー。ソロ・アーティストとして、世に出たが、レコーディング...
初めてヒロシと話したのは大貫憲章さんに新宿のツバキハウスで紹介してもらった1982年とかだからもうかなり前になる。あの時代のロンドンのID やFACEといった雑誌に出てきたりするようなニューロマ...
川村カオリが1988年11月に「ZOO」でデビューしてから、今年で30年を迎える。『KAORI KAWAMURA 1 2 3』は1988年、17才でデビューしてから4年間の音楽映像である。VHS...
1985年11月15日、レベッカの通算4作目のアルバム『REBECCAⅣ~Maybe Tomorrow』がオリコン・アルバム・チャートの1位を獲得した。レベッカにとっては初のアルバム1位獲得であ...
1980年6月、ジューシィ・フルーツは日本コロムビアよりデビューした。高校生仲間で初めてバンドを組んだ時から、GIRLSという女の子バンド時代も、その後の近田春夫氏のバックバンドBEEFの時も、...
今日、6月6日は、高橋幸宏の誕生日だ。1952年、東京に生まれた。その存在が広く知られるようになったのは、サディスティック・ミカ・バンドのドラマーとしてだった。彼よりも技術に卓越した人はいるかも...
2月13日は矢野顕子の誕生日である。10代のころからクラブでピアノの弾き語りを始め、そのレコーディングが伝説となっている名盤『JAPANESE GIRL』でソロ・デビューしたのが1976年のこと...
7月14日は、1980年にYMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』はオリコン1位を獲得した日。79年9月の発売から1年がかりで首位となり、同年度の年間LP順位1位に輝いた。きっかけは79年末...
『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月25日発売)の爆発的大ヒットで、YMO人気は一気に子どもたちにまで浸透するようになったが、この機を逃すまいとアルファ・レコードは新しいタイト...
1983年5月24日は、YMOのアルバム『浮気なぼくら』の発売日。82年の約1年の休眠期間をはさんで、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が再び結集した復帰第1作である。81年の『BGM』『テクノ...