2019年03月18日
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2019年03月18日
1978年(昭和53年)11月23日、NHK-FMにて放送開始された音楽番組『サウンドストリート』。当初は『ロッキング・オン』編集長、渋谷陽一がパーソナリティを受け持った『若いこだま』~『ヤングジョッキー』の流れを汲んだ、最新音楽情報番組という趣が強かったが、何と言ってもその黄金時代といえば、83年から86年までの3年間だろう。佐野元春、坂本龍一、甲斐よしひろ、山下達郎、渋谷という最強の布陣を揃え、当時の若い世代の音楽的バックボーン形成に大きな影響を及ぼした番組となった。
1986年の今日3月18日放送された『サウンドストリート』は、火曜日担当・坂本龍一にとっては最後の放送回にあたる。その内容に触れる前に、それまでの「教授サンスト」の歩み、中でも名物コーナーとなった「デモテープ特集」について、ざっくりと説明しておきたい。
「教授サンスト」の第1回放送は、1981年4月7日。YMOのアルバム『BGM』がリリースされてから18日後のことだ。初めての「デモテープ特集」は、第44回目となる翌82年5月25日に放送されている。当時高校生だった筆者は、まだ熱心なリスナーとは言えなかった故、どのような経緯でリスナーから投稿テープを募集するに至ったかを知らず今に至っているのだが(因みにこの頃、雑誌『ビックリハウス』も鈴木慶一のキュレーションにより、読者からのテープ投稿を募集していたが、リアルタイムで知ったのはその末期のことだ)、何せ当時のYMOの影響力である。創造欲溢れる、所謂「YMOチルドレン」の皆さんが、何とか教授に自分の作品を聴いて欲しいと、テレコを前に奮闘する様が想像できる。筆者も例にもれず、若さに任せて無秩序に録音作品をせっせとカセットにしたためていたのだが、何とかならないかなというムズムズした気持に火をつけたのは、たまたまラジオのダイアルをNHK-FMに合わせた83年7月19日のことだ。4回目にあたる「デモテープ特集」が放送された夜である(夏休み前というタイミングもものを言ったんだな)。
実はその1ヶ月前、伏線があった。6月11日のこと。『浮気なぼくら』をリリースしたばかりのYMOが、NHK教育テレビ(当時)の番組『YOU』に登場。スタジオでの音楽制作密着取材に続き、観客の若人たちから数名づつピックアップし、それぞれが持参した音具で気ままな即興演奏の実践を促したのである。水先案内人としてYMOがいたからこそ、そのリスナーは固定概念に囚われるのを嫌がったのだ。番組の最後では、YMOの整然とした演奏に乗せ、観客が自由奔放に音を出しまくり、司会の糸井重里まで「膨らませたビニール袋割り」に勤しんでいた。これぞ、現在の筆者が追い求める「自然発生音楽」が萌芽した瞬間だった。
それを見て衝撃を受けた直後だったのもあって、興味深く聴取した。音楽的に高度なものもあれば、衝動に任せたとしか思えないネタ的な作品もあり。まさに同世代好き者が集う音の博覧会。教授のコメントにもドキドキして耳を傾けたものだ。ラジオの電波上でこんなことが行われた喜び。これは「乗らなければ」と思った。当時受験生故、新しい作品を作るどころじゃなかったけど、幸いネタはいくらでもある。というわけで、録り貯めた妙なテープの中から数編をコンパイルして、教授宛に送りつけた。結果、当時組んでいたユニットの名前が、「第1次審査に通った」とのことで、85年5月14日放送された10回目の「デモテープ特集」の冒頭で、スクリッティ・ポリッティの曲に乗せて教授に読まれた。それだけでも、満たされ感があった。
そうこうしてるうちに時は流れ、迎えた86年3月18日。「教授サンスト」の最終回は、14回目で最後となる「デモテープ特集」だった。NHKのスタジオでの公開録音という力の入れよう。番組の冒頭では、過去13回に放送されたテープの中から、好評だったものを中心に教授と矢野顕子が厳選したアルバム『DEMO TAPE-1』の4月21日発売が告知され、会場内が湧きに湧く。そんな興奮状態の中、2曲目に流れた「ビー・マイ・ベイビー」。「わからないんですよ~」と前置きされて始まったそれこそ、溜まっていた筆者の欲求が放たれたその瞬間だった。まさかの形ではあったけれど。
その頃になると、再び創作欲が本格化していたので、当時の最新録音から数曲選んでテープをコンパイルし送ったのだが、その隙間にいたずらのつもりで、筆者が9歳の時親戚のテレコを使って録音したものをささやかに入れておいた。その頃から「録音魔」だったのに加え、そんな幼さでフィル・スペクターのポップ・クラシックに親しんでいたこと自体、今思えば怪奇現象だが。カムフラージュするつもりで妙なエコーを加えてしまったのが、教授の琴線に触れたらしい。結果そんなものが、公共の電波に乗ってしまったのである。
自分のユニット名なり何なりを記入できない事情でもあったのだろうか、結局「モッちゃん命の丸」という名前を冠されオンエアされたわけだが、きっと自分内にあったレジデンツへの傾倒の結果だったんだろう。かたじけない。
ともかく、この放送と『DEMO TAPE-1』の発売で、我が青春の一つの側面が終わった。今では周知の事実だが、『DEMO TAPE-1』に収録されたことが、その後の大躍進の最初の一歩となったミュージシャンは複数いる。このアルバムのジャケット・デザインも担当したテイ・トウワ、そして槇原敬之は言うに及ばず、その後ゲーム音楽の作曲などで熱狂的なファンを獲得するササキトモコの、こちらも7歳の時に録られた貴重な歌声が聴けたりするし、現在京都精華大学などでシリアスミュージックを中心に教鞭を振るうRAKASU PROJECT.が祖父の歌声を録音した「うさぎとかめ」など、リアルライフ・ドキュメントとして異端の輝きを放つものもある。『DEMO TAPE-1』に収録漏れした顔ぶれの中にも、後にゲーム音楽制作や、MISIAや平原綾香のヒット曲作りに関わる面子がいたりして興味深い。もちろん、当時ラジオで聴いて気になるも、その後「一般の人」になってしまった人は数多いが、何人かにインターネットを通じて再会することさえできている。「デモテープ特集」時代が持っていた雑多な音楽的連帯を、現在のネット環境上で再現できるとはとても思えないけど、失われたものを取り返す魔法は電脳網でないと成せない技だ。
YMO世代の方もそうでない方も、若い頃に残したささやかな過ちとしか思えないものがあれば、今こそ冷静に向き合ってみればいかがでしょう。商業的な部分を離れれば、芸術表現に「黒歴史」なんてものはないですから。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の3タイトルが発売、10月25日にはその続編として新たに2タイトルが発売された。
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