2016年03月06日

80年代初頭に現れたローティーンテクノバンド“コスミック・インベンション”

執筆者:鈴木啓之

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YMOの武道館公演のオープニングアクトを務めたことで知られる伝説の中学生テクノバンド、コスミック・インベンション。 AAAより30年早い男女混合グループとして、一際目立つ美少女・森岡みま、そして現在作曲家として活躍する井上ヨシマサ等が参加していた。レコードデビュー曲「YAKIMOKI」がビクターから出されたのは、1981年3月5日。今から35年前に遡る。


森岡みまといえば、アニメファンの間では、『魔法の妖精ペルシャ』のオープニングテーマ「おしゃれめさるな」をMIMA名義で歌っていたことで知られよう。TBSの「ポッパーズMTV」という音楽番組でピーター・バラカンのアシスタントを務めていた時期もある。彼女の父・森岡一夫氏が電子楽器メーカー、ファーストマンの創業者だったことから、氏が娘と同世代の少年少女を集めて結成したのが、コスミック・インベンションであった。テクノ・ブームが次第に盛り上がる中、80年12月に開催されたYMO(=イエローマジックオーケストラ)の日本武道館公演でオープニングアクトの大役を務め、YMOジュニア的な位置づけが成される。翌81年3月にデビュー・シングル「YAKIMOKI」をリリースすると、テレビ出演の機会も一気に増えた。「YAKIMOKI」を作曲・編曲したのは、森岡一夫氏と懇意だった元ブルー・コメッツの小田啓義で、グループにとって大きな役割を果たした。


シンセ・ドラムを叩きながらヴォーカルを担当した、美貌の森岡みまに視線が集まったのは当然のことながら、今でもこのグループがしばしば話題に上るのは、中学生のテクノバンドだったこと、79年に結成されて82年には早くも解散した短い活動期間などが挙げられる中で、現在AKB48の諸作品をはじめ作曲家として大活躍している井上ヨシマサが在籍していたという事実が何より大きいだろう。当時のレコードを見るとまだ“井上能征”の表記になっている。リーゼントスタイルでキーボードを叩いていた彼が、これほどの大活躍を遂げるとは、誰も予測できなかったに違いない。


グループ解散後の井上が作曲家デビューしたのは85年。小泉今日子のアルバム『Flapper』に書いた「Someday」が記念すべき処女作となった。小泉にはその後、シングル「Smile Again」の作曲やアルバム『ナツメロ』でのアレンジなども施している。さらに荻野目洋子「スターダスト・ドリーム」や中山美穂「Rosa」など、アイドルたちと同世代の作家の活躍は目覚ましかった。しかし氏が真価を発揮するのは2000年代を迎えてから。旧知だった作詞家・秋元康からの依頼でAKB48のメジャー第2弾シングル「制服が邪魔をする」を書いたのをきっかけに、「大声ダイヤモンド」「RIVER」「Everyday、カチューシャ」など、彼女たちにとって節目となる佳曲を提供して、作曲面でのメインライターと言うべき存在となった。その辺りの経緯は、2015年に上梓された氏の著書『神曲ができるまで』に詳しい。


アイドルを中心に数々の楽曲提供をしていた87年、井上ヨシマサがリリースした1stソロ・アルバム『JAZZ』は、今改めて評価されるべき優れた一枚である。氏の音楽のルーツともいえるジャズをポピュラー・ミュージック的視点から捉え直し、80年代に支持されたAORやボサノヴァ等の音楽スタイルが完全消化された作品集。ファースト・リリースから29年の年月が流れた今、Loppi・HMV限定盤として復刻されることが決まった。氏の秀でたメロディ・センスには常日頃から注目しているに違いない、音楽に長けたAKBファンにもぜひ耳を傾けてもらいたい名盤なのだ。


歌謡曲シーンにおける職業作家が極めて少なくなってしまった現在、井上の才能は貴重である。アイドル・ポップスの益々の隆盛のために“よすす”の存在は欠かせない。そして氏には、80年代にテクノやアイドルを聴いて育った、現在の大人たちに向けたコンテンポラリーな歌謡曲にもぜひトライしていただきたいと思う。


【Loppi・HMV限定盤】 井上ヨシマサ1stソロ・アルバム『JAZZ』が待望の復刻! >


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