2016年03月04日
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2016年03月04日
3月4日は村井邦彦の誕生日である。
昭和20(1945)年ということだから厳密には戦後生まれではないものの、グループ・サウンズ(GS)のブームを背景に登場したソングライター群の中では間違いなく最年少世代にあたる。何よりもユニークなのは現在では作曲家であると同時に、むしろプロデューサー/経営者としてのキャリアに注目が集まっているところだろうが、その萌芽はデビューの時点から充分に窺い知れるものだったのである。
大学のジャズ・サークル出身というのはこの時代の作・編曲家に数多く見られるパターンだが、在学中にレコード店の経営に乗り出したという点には驚かされる。卒業とともにプロとなり楽曲管理のために立ち上げた“アルファ”を拠点として、音楽出版から原盤制作、スタジオ設立、レコード会社へと業容を拡大していくなかで、赤い鳥、ガロ、荒井由実、YMOといったアーティストを次々と世に送り出していった。
したがっていわゆる流行歌の職業作曲家として最前線で活躍した時期は約5~7年と短いものの、1960年代終盤から70年代初頭という歌謡界の大転換期において独特のポジションから時代を象徴するような重要な作品を残している。まずGSの両巨頭であるタイガーズとテンプターズに提供した「廃虚の鳩」と「エメラルドの伝説」は、いずれもクラシカルな雰囲気の漂う歌謡曲からは遠い曲調となった。また実力派とされたモップスやゴールデン・カップスではサイケやR&Bなどのトレンドを大胆に取り入れている。
そのモップスの「朝まで待てない」でコンビを組んだ阿久悠とは、ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」や北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」をヒットさせ同氏の出世作をサポートした。前者はR&B指向のグループにカレッジ・ポップス調の楽曲を提供、現在の感覚では演歌の範疇で語られてしまいがちな後者では、むしろある種の賛美歌/鎮魂歌を意識した作風となっている。一方なかにし礼とのコンビでは昭和元禄のアングラ文化を象徴するようなピーターを「夜と朝のあいだに」でデビューさせている。
続いて1970年度の新人女性歌手である辺見マリをデビューから担当し「ダニエル・モナムール」や「経験」などフレンチ系やA&Mのサウンドを彷彿とさせる作風で、作詞の安井かずみとともにアンニュイなイメージを見事に引き出した。またフォーク系とのイメージが強いトワ・エ・モワに対してもソフィスティケートされたサウンドを確立し、赤い鳥やハイ・ファイ・セットに通じる嚆矢としている。
そして何といっても代表作となるのが山上路夫とのコンビで赤い鳥に提供した「翼をください」。当時はそれほどの大ヒットではなかったものの、教科書掲載、合唱の人気曲、卒業式の定番、スポーツ応援歌という経緯を経て幅広い世代へと浸透していった。「マイ・ウェイ」を思わせる歌い出しから次第にブリティッシュ・トラッド風のメロディに展開していく様が興味深い。アルファの設立時に「マイ・ウェイ」の原曲となるシャンソンの版権を獲得していたというのは偶然としても、赤い鳥のデビュー・アルバムがロンドンでレコーディングされたという事実は見逃せない。英国はサッカーの本場でもあるわけで。
70年代中盤以降の作曲家としての活動は、身内のアーティストへの楽曲提供と映画音楽や自身の名義でのインストルメンタル作品などが主体となっていくが、2001年に発表されたアルバム『A TASTE OF BLUE』はコートダジュールをイメージした上質のリゾート・ミュージックに仕上がっている。
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