2017年07月07日
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2017年07月07日
懐かしきブリティッシュ・ビート時代の名ドラマーには、シャドウズのトニー・ミーハンやブライアン・ベネット、ホリーズのボビー・エリオットら、洒落たドラミングのテクニシャンが何人もいたけれど、リンゴ・スターはむしろその対極だった。重く深いビート感を持ちながらも、ワイルドに前のめりにもなれば、あと乗りの含蓄のあるプレイにも対応する、そして何よりも“音が違う”ちょっと異色のドラマーだった。
決して器用なタイプではないが、楽曲を掌握しつつも、独自のタイム感を堂々と叩き出す男。ビートルズの他の3人が、人気のあったハンサムなテディ・ボーイ、ピート・ベストをクビにしてまでリンゴを迎えた理由はそこにあり、リンゴの加入によって、ビートルズは他と一線を画すバンドへと脱皮したのだ。これは間違いない。そして、他の3人と足並みを揃え、リンゴのドラミングもまた成長を遂げる。「レイン」や「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のフィルインは、いま聴いてもゾクゾクする。いわば“ロック・ドラム”の扉を開いたのがリンゴだった。
本名リチャード・スターキー。1940年7月7日生まれだから、ビートルズの中では最年長。今年で77歳になった。メンバー中、最も貧しい家庭に生まれ、そのうえ病弱だったことから、十分に学校にも通えなかった。たびたびジョークを飛ばし、楽天的に見えるリンゴだが、瞳の奥にわずかな翳りがのぞくのは、そんな生い立ちのためか。いや、勝手な詮索はよそう。と言いつつも、映画『ハード・デイズ・ナイト』にフィーチャーされた彼の独演シーンは、とりわけ印象深い。演技というよりも“地”のままが映し出されるのだが、まるでビートルズにチャーリー・チャップリンがいるようだった。これをきっかけにリンゴは映画界からも注目を集め、フィルモグラフィを重ねるが、これはまた別の機会に。
また、ドラムスと較べればお世辞にも上手い歌い手とは言えないリンゴだが、彼の気質そのままの、のどかな歌いっぷりには抗いがたい味がある。最も知られるのは、のちに楽曲をもとにアニメ映画化もされた「イエロー・サブマリン」だろうか。ビートルズ時代にリンゴがヴォーカルをとった曲では最高位の英1位、米2位となった。
もっとも、ビートルズ時代よりソロ・キャリアのほうがはるかに長いわけだが、その間にも73年のアルバム『リンゴ』(ジョン、ポール、ジョージが揃って助演した唯一のアルバム!)からシングル・カットされたAB面「想い出のフォトグラフ」(リンゴとジョージの共作)と「ユア・シックスティーン」(ジョニー・バーネットのカヴァー)は、ともに全米No.1となった。ほかトッド・ラングレンやジョー・ウォルシュ、ヴァン・ダイク・パークスらが協力した2015年の近作『ポストカーズ・フロム・パラダイス』まで、アルバム・ディスコグラフィはたっぷりある。
また、89年からツアーとアルバム・リリースを重ねているリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドは、リンゴ率いるロック/ポップ・レヴュー形式のショー・バンドで、60~80年代シーンで大活躍した面々がズラリ顔を揃える。そのメンバー編成も昨年で第12期を数え、それぞれが代表的なレパートリーを歌う最高に楽しいエンタテインメント・ショーだ。
体力の許す限り続けてほしいが、無理は言いたくない。彼の長命こそファンの願うところだから。どうか、いつまでもお元気で…。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、青山学院大学非常勤講師、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。が、原体験した英ビート音楽が忘れられず…。
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