2016年02月01日

モコ・ビーバー・オリーブ「わすれたいのに」誕生秘話…1969年2月1日リリース

執筆者:朝妻一郎

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1968年の秋、ニッポン放送の制作部員でアメリカへの社内留学から帰国してしばらくたつ亀淵昭信さんが、同じニッポン放送の5階にあったパシフィック音楽出版のオフィスに一つのアイデアを持って顔を出した。チーフプロデューサーのドン上野氏のもとで亀淵さんがアシスタントプロデューサーを務める番組「パンチ・パンチ・パンチ」のキャスターであるモコ・ビーバー・オリーブの3人でレコードを出せないか? ということだった。

私は、即座に”女性3人でしょ? それならパリス・シスターズしかないでしょ”と答え、亀淵さんも了承し、話は一挙に具体化することになった。


しかし、この1961年にフィル・スペクターのプロデュースでヒットしたパリス・シスターズの「I Love How You Love Me」は、タイトルの通り“あなたの愛しかたが好き”という、恋する女性がいかに恋人のしぐさが素敵なものか、ということを切々と歌う、幸せな恋人同士が主人公で、これを日本語にしてもインパクトに欠けるし、ヒットさせるのも難しいのでは、と感じた。

”ヒット曲は胸きゅんのもの“と信じている私は、朝丘雪路さんが歌っていた「ふり向いてもくれない」みたいな詞が良いのではないかと思ったがその作詞をした青島さんとは直接面識がなかった。しかし。青島幸男さんの弟子だった、放送作家の奥山侊伸さんを亀淵さんに紹介してもらい、”弟子なんだから、同じような詞を書けるでしょ!?“と無理難題を押し付け、「わすれたいのに」を作ってもらった。今でも、原詩に忠実に日本語をつけていたら、いくら「パンチ・パンチ・パンチ」が人気番組だったとはいえ、それほど話題にならなかったのではないかと思っている。ほんの少しの訳詞料しかお支払いしていない奥山さん、本当に申し訳ありませんでした。


このレコードは2月の1日に発売され、ちょっとヒットの兆しを見せ始めていたのだが、同じ東芝のエクスプレスレーベルから3月の1日に発売された、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」の津波のような大ヒットに巻き込まれ、もう一段のヒットのチャンスを摘まれてしまった。そんな事情は由紀さんはご存じないだろうが、2011年に発売された由紀さんとピンク・マルティーニとの共演アルバム『1969』で、由紀さんは「わすれたいのに 」を取り上げてくれている。


ちなみにこのモコ・ビーバー・オリーブのレコードの編曲は、当時よく一緒に仕事をしていた ありたあきらさんにお願いしたが、このありたさんはクラウンレコードの専属のため、本名の小杉仁三を使えず、外部の仕事はこの名前で行っていた。偶然だが「ふり向いてもくれない」の作曲者は小杉さんだった。


わすれたいのに(紙ジャケット仕様)

「1969」ピンク・マティーニ 由紀さおり

「大人のMusic Calendar」初協賛コンピレーションアルバム~コロムビア・ガールズ伝説 EARLY YEARS(1965~1972) オムニバス (アーティスト)

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