2018年01月05日
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2018年01月05日
東宝の俳優として1960年にデビューした加山雄三は、翌61年に映画『大学の若大将』の挿入歌・主題歌「夜の太陽/大学の若大将」で歌手デビューも果たす。その後、弾厚作のペンネームで自ら作曲も手がけた「恋は紅いバラ」「君といつまでも」を連続ヒットさせ、満を持して発表されたのが1stアルバム『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』であった。「君といつまでも」が大ヒットの兆しを見せていた1966年1月5日のリリース。今から52年前の今日、ジャパニーズ・ポップスの歴史を大きく変えることとなる名アルバムが世に放たれたのである。
加山のバンド「ランチャーズ」が結成されたのは1962年のこと。東宝の藤本真澄プロデューサーからの声がかりで、当初は二瓶正也や津田彰ら、俳優仲間や撮影所のスタッフを集めて活動を始める。バンド初お披露目の場となったのは、62年に東宝撮影所内で催された、全国の映画館主を招いてのイベント「砧まつり」のステージだった。逸早くヴェンチャーズのカヴァーに取り組んだ彼らの対抗馬として、山内賢ら日活の若手スターで構成された「ヤング・フレッシュ」の名が挙げられる。日本におけるエレキ・ムーヴメント黎明期に、2つの映画会社からそれぞれ重要なバンドが誕生していたことは実に興味深く、それが東宝『エレキの若大将』(65年12月公開)、日活『青春ア・ゴーゴー』(66年3月)という作品に結実するのだからさらに面白い。ヴェンチャーズとアストロノウツの来日公演を直接のきっかけに興ったエレキ・ブーム下で封切られた2大エレキ映画の下地として、ランチャーズとヤング・フレッシュの存在は大きかったのだ。
64年頃にメンバーを一新したランチャーズは、加山が弾厚作のペンネームで作曲を始めたのと同じくして、本格的な活動期に入る。新たなメンバーは加山の従弟にあたる喜多嶋瑛・修と、修とは慶應の同級生だった大矢茂(後にやはり慶應同期の渡辺有三も参加)。ランチャーズ初のレコードとなったは『エレキの若大将』の挿入歌として「君といつまでも」と同時に発売されたシングル「ブラック・サンド・ビーチ」であった。B面の「ヴァイオレット・スカイ」と共に"加山雄三とランチャーズ"名義による、ヴェンチャーズも顔負けのインストナンバーである。この2曲はシングル・リリースからちょうど1か月後に出されたアルバム『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』にも収録された。他の収録曲はそれまでに出されたシングル「恋は紅いバラ」と「君といつまでも」のAB面、さらに「海の上の少年」「ランニング・ドンキー」など。弾厚作の名パートナーになりつつあった岩谷時子の詞が愛らしい「君のスープを」も印象深い。先行シングル「君といつまでも」を追いかける様にアルバムも好調な売れ行きを示した。
もはや俳優の余技を超える名曲の数々が誕生した背景には、加山の才能はもちろんのこと、ランチャーズの中核を成した喜多嶋修の卓越した音楽センスも大きかっただろう。そして名アレンジャー・森岡賢一郎の存在も忘れてはならない。レコードの爆発的なヒットにより、最高潮に達していたエレキ・ブームと並行して空前の加山雄三ブームが訪れることとなった。直後にコロムビアのCBSレーベルから出された全曲英語詞とインストナンバーで構成された傑作盤『恋は紅いバラ ―加山雄三アルバム―』は姉妹アルバムともいえる関係で、同時期に違うレーベルからレコードが発売されたのは、加山が作家・弾厚作として契約した渡辺音楽出版が楽曲管理の権利元であったためとおぼしい。後に山下達郎や竹内まりやにも絶賛されるそのアルバムも当然のごとく売れたが、歌入りの「君といつまでも」が聴けるこちらには敵わなかった様である。凛々しい顔が超アップで写されたジャケットのインパクトも大。
ちなみにこの年の6月にビートルズが来日した際、当時のヒルトンホテルに泊まっていた彼らの部屋を加山が訪れた話はよく知られているところ。その際、加山がメンバーに聴かせたのは同月に出されたばかりのニューアルバム『ハワイの休日』だったというが、この『加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに』もきっと一緒に持参したに違いない。もしかすると今でもメンバーの誰かのレコード棚に眠っていたりするのであろうか。
加山雄三「君といつまでも」「加山雄三のすべて~ザ・ランチャーズとともに」「ブラック・サンド・ビーチ」「恋は紅いバラ ―加山雄三アルバム―」写真撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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