2016年12月19日
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2016年12月19日
昭和40年(1965年)12月19日。全国の東宝系映画館で一斉に封切されたのがゴジラ・シリーズ第6弾『怪獣大戦争』と同時上映の、加山雄三主演の若大将シリーズ第6弾『エレキの若大将』だった。1965年のエレキギター大ブームの中での満を持しての公開だった。きっかけは脚本の田波靖男が利用していた旅館「東屋」の息子がエレキに夢中という話を聞いたことだった。
作品は当時の国産エレキブームをけん引していたギターブランド「テスコ」の協賛の下、これでもかとテスコのエレキギターを見せつける。フジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」や東京12チャンネル「エレキ・トーナメントショー」など当時いくつもあったというTVの「エレキ合戦」(正式には「歌って踊って天下は泰平」という番組らしい)のシーンでも大エレキブームの様子が想像できる。
ヒロインの星由里子が働く「リード楽器店」ではテスコのエレキギターとビートルズをはじめとする東芝のレコードがずらりと並ぶのも、らしくて面白い。そこでのちに加山夫人となる松本めぐみのガールズ・バンドのアイビー・シスターズや、ライバルとなるジェリー藤尾率いるザ・シャークスと遭遇するのだが、シャークスが影響されているビートルズがちょっと変わった存在(長髪、派手な衣装など)として描かれているのも現在の感覚とは違って意外に感じる(そういえば筆者が子供の頃、散髪に行かず髪が伸びたりだらしない服装をしていると大人からは「ビートルズみたいな恰好して」と怒られたものだ)。
寺内タケシや田中邦衛、ジェリー藤尾らが弾くのがテスコの代表的機種TG64、ベースの名器と言われるNB-4 (ビートルズ来日公演でいかりや長介も使用)のほか、MJ-2L、WG-4Lなど当時のテスコ人気機種勢ぞろいである。実は日本楽器(ヤマハ)も共演する寺内タケシとブルージーンズのための「ブルージーンズ・カスタム」というプロ用のエレキギターを開発していたのだが、クランクインには間に合わずギリギリで間に合ったプロトタイプを日光でのシーンで撮影済みのものに差し替えて使っている(加山はベンチャーズからプレゼントされたモズライト)。ヤマハ・ブルージーンズ・カスタムを使ったタイトルシーンも最後に撮影されたってことらしい。日光と言えばここで流れる「君といつまでも」がその後の加山の代表曲になったことも忘れてはいけない。
ここでアマチュアはテスコ、プロはモズライトっていう差別化もあるような気がしてならないのだ。テスコTG-64が定価22000円、ヤマハ・ブルージーンズの市販モデルSG-7が92000円という大きな価格の開きがあった(ヤマハは高価すぎて売れなかったという。大学卒の初任給が2万円そこそこの時代で現在の貨幣感覚で行くとおよそ100万円だという)。そこにテスコやグヤトーンが若者に広く普及した理由がある。まずすそ野を広げるということだ。
遅れること3か月の日活エレキ映画『青春ア・ゴーゴー』(山内賢のヤング&フレッシュや田辺昭知とスパイダースらが出演)共々、これらの映画が日本の若者たちにエレキギターを普及させ、アマチュアバンドを結成させてそれが日本のロックの基礎になったことは間違いない。
≪著者略歴≫
岩根健一 (いわね・けんいち) : ライター&ギター・ウォッチャー。80年代からビートルズ(の楽器)について執筆。「ビートルズ全曲バイブル」「ビジュアル版ビートルズ全史」「ビートルズ奇跡のサウンド」「Music Life」などでビートルズの楽器関連を、「ユーキャン栄光のグループ・サウンズ大全集」ではGSのギターカタログを担当。60年代の内外のギター研究をライフワークとしている。
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