2018年03月05日
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2018年03月05日
ザ・テンプターズはデビュー曲の「忘れ得ぬ君」に続いてシングルの第2弾を5か月後の68年3月5日に発売しました。デビュー曲を作ったリーダーの松崎由治が初めてリード・ヴォーカルのショーケンのために作詞作曲した「神様お願い」です。この曲の《お祈りポーズ》と呼ばれる跪きながらのショーケン独特のアクションが話題を呼び、オリコン・シングル・チャート堂々第2位にランクされ実売30万枚以上の大ヒットを達成しました。そして5月にはマルベル堂のブロマイド売り上げランキングでザ・テンプターズは遂にザ・タイガーズを抜いて首位に躍り出ました。
この「神様お願い」は「忘れ得ぬ君」を踏襲したマイナー調のいかにもヨッチン(松崎のニック・ネーム)らしいシンプルなフレーズで構成された人懐こいメロディの曲で、突き刺さるようなアップテンポの疾走感あるロック・ナンバーです。曲のメインの部分は詞曲同時にすらすらと出来上がったのですが、問題は曲のド頭の導入部でした。ヨッチンは或る日アイディアが煮詰まったので、気分転換のため真夜中自宅近くの田んぼのあぜ道に、ギターを抱えて出かけて行きボロロン、ボロロンとかき鳴らしている最中に、あのイントロの不思議な“しゃらららーん しゃらららーん”というストローク・フレーズが偶然鳴ったんだそうです。開放弦主体のモード風の何とも神秘的な響き、これだ!と思ったそうです。この曲のテーマである《祈り》を見事に暗示したフレーズといえるでしょう。
プロの作編曲家には間違っても思いつかない、アマチュア音楽家ならではの見事なアイディアの成果です。
実際このヒットの最中に当時の人気音楽番組、フジ・テレビの「ザ・ヒットパレード」のディレクターを務められていた作曲家のすぎやまこういちさんを偶々フジのスタジオに訪ねた時、すぎやまさんは「あの《神様おねがい》のイントロにはぶっ飛んだね。なんだこれはと思った。プロで飯食っている私には全く考えも及ばないよ。」と私に言われました。
この曲のレコーディングは勿論全部テンプターズのメンバーのみで演奏して完パケにしたことは言うまでもありません。後に6月25日発売の『ザ・テンプターズ・ファースト・アルバム』にB面の「涙を笑顔に」と共に収録されました。そして次作シングルはヨッチンに暫しお休み頂いて初めてプロの作家を起用した「エメラルドの伝説」でもう一段上の高みに上り詰めることになります。
メンバーのオリジナル曲で勝負してきた事務所の先輩のザ・スパイダーズに倣って、メンバーのオリジナルでデビューし、偉大なるアマチュアリズムの精神で業界のプロ集団の手になるタイガーズと人気伯仲するまで上り詰めてきたザ・テンプターズ、この曲には彼らのアマチュア・スピリットの真髄が凝縮されていたのです。
≪著者略歴≫
本城和治(ほんじょう・まさはる):元フィリップス・レコードプロデューサー。GS最盛期にスパイダース、テンプターズをディレクターとしてレコード制作する一方、フランス・ギャルやウォーカー・ブラザースなどフィリップス/マーキュリーの60'sポップスを日本に根付かせた人物でもある。さらに66年の「バラが咲いた」を始め「また逢う日まで」「メリージェーン」「別れのサンバ」などのヒット曲を立て続けに送り込んだ。
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