2018年04月11日

本日はJ-popの礎を作り上げた名作曲家・すぎやまこういちの誕生日

執筆者:丸芽志悟

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本日4月11日は、作曲家・すぎやまこういちの誕生日。87歳を迎える現在もなお、日本の音楽界を見守る重要な存在である。


すぎやまといえば、否が応でも「ドラゴンクエスト」の人、というイメージが強い。1990年代初頭、GS時代を懐古するテレビ番組に彼がVTR出演した際、「GSによってもたらされた日本大衆音楽の西洋化のおかげで、ドラクエのようなゲーム音楽が大衆に受け入れられることも可能になった」というような発言をしたのを筆者は覚えているが、いくらなんでもそれは違うだろ、と思った。自らゲームマニアであることを認め、その世界に入り込むことでプレイヤーの感情と同化し、それを刺激する音楽を作る手腕を持つ彼の業績は、確かに近年のゲーム音楽クリエイターにまで多大なる影響を与えているが、そこに至るまでの歩みを見過ごすことは決してできないのだ。


よく知られているように、すぎやまと大衆音楽の関わりの始まりは、1959年、フジテレビの社員として大ヒット番組「ザ・ヒットパレード」のディレクターを務めたことだ。それまでの歌謡史を作り上げてきた数多の作曲家とルーツを異にする、元祖メディアクリエイター(当時のテレビの勢いは、まさにニューメディアと呼ぶに相応しいものだった!)とでも呼ぶべき立ち位置から音楽作りを始めた彼のスタンスは、まさにJ-Popの父と呼んでもおかしくない。まずはあの「ザ・ヒットパレード」のおなじみのテーマ曲が、作曲家・すぎやまこういちにとって名刺代わりの一曲となる。

この番組をきっかけに深い関係が始まるザ・ピーナッツへの楽曲提供は、フジ退社の翌年となる66年に発表された「ローマの雨」から本格的にスタート。また、ハウス・バンドとして番組に関わっていたブルー・コメッツの単独デビューに際しても、積極的に進言している。ブルコメ初の歌ものシングル「青い瞳」の作詞家として起用された橋本淳は、元来すぎやまの弟子かつパーソナルアシスタントであったが、ここから文中に登場する68年までの曲の大半の作詞を手がけ、和製ポップス高度成長期の詩的側面をリードする事になる。

同じく66年には、日本グラモフォン(後のポリドール→ユニバーサル)で洋楽ディレクターを務めていた、後に筒美京平となる男の処女作曲作品「黄色いレモン」に作曲家名義貸与を行っている。この曲はレコード会社の壁を越えた競作となったが、既にフリーに転じた先輩にして恩師であるすぎやまの温情が、後に大出世する筒美の作曲家生活のスタートの起爆剤となったのは見逃せない。ちなみに本命盤と言えるグラモフォン盤を歌った藤浩一とは、言うまでもなく後の子門真人である。このような「影の活動」も決して見過ごせないものであった。


67年にはいよいよザ・タイガースへの楽曲提供をスタート。デビュー曲「僕のマリー」を皮切りに、「シーサイド・バウンド」「花の首飾り」など数々の名曲は、日本のポップスの流れを見事に変えてしまった。GSへの楽曲提供としては、シャープ・ホークス「遠い渚」やザ・カーナビーツ「泣かずにいてね」も印象に残るが、永遠性という点ではヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」に軍配が上がる。元々この曲は66年、青山ミチのために書かれ「風吹く丘で」として世に出たが、不慮の事態に祟られお蔵入り同然状態に。その後、ヴィレッジによって救われ、2002年には島谷ひとみによって再びリバイバルヒット。時代を超えて愛された一曲となった。

GS時代のガールシンガーの曲としては、堀内美紀に提供した狂おしい名曲「恋の呪文」、のちにしばたはつみとして大出世するはつみ・かんなが若々しい個性を全開する「乙女の季節」(ともに68年)など、実力派歌手に提供したものが特に見逃せない。ちなみに、現在では一部で6桁プレミア価格がつけられることさえある「恋の呪文」の一部シングルジャケットに「作曲・編曲 森岡賢一郎」とあるのはミスクレジットである。


70年代の作品では、何と言ってもガロ「学生街の喫茶店」(72年)。この大ヒット曲も、当初はB面扱いであった。時代の先端を行くフォークグループの第3弾シングルとしては、洗練された曲調の「美しすぎて」の方が遥かに自信作と思われた。しかし、ラジオから火が付きまさかの大ブレイク。「亜麻色の髪の乙女」を凌ぐウルトラCを演じてみせた。

その後も、決して歌謡曲の王道を意識することなく我が道を行き、クリエイティヴ面を極めんとアニメソング、さらにはゲーム音楽にまで挑むその姿勢。それ自体が「クエスト」なすぎやまワールドであるが、やはり代表作を一曲選ぶとなると、ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」(67年)にとどめを刺したい。なかにし礼とのタッグこそ、あえて言わせてもらうが奇跡のコンビ。いかなる怪獣もひれ伏す、歌謡史に燦然と輝くビッグスタンダードを、この二人は生んだのだ。これ以上の言葉は敢えて言わないことにする。


ザ・ピーナッツ「ローマの雨」ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」ガロ「学生街の喫茶店」ジャケット撮影協力:鈴木啓之&中村俊夫


≪著者略歴≫

本日4月11日は、作曲家・すぎやまこういちの誕生日。87歳を迎える現在もなお、日本の音楽界を見守る重要な存在である。すぎやまと大衆音楽の関わりの始まりは、1959年、フジテレビの社員として大ヒット番組「ザ・ヒットパレード」のディレクターを務めたことだ。それまでの歌謡史を作り上げてきた数多の作曲家とルーツを異にする、元祖メディアクリエイターとでも呼ぶべき立ち位置から音楽作りを始めた彼のスタンスは、まさにJ-Popの父と呼んでもおかしくない。 text by 丸芽志悟

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