2015年12月27日
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2015年12月27日
1965年、埼玉県大宮の高校生たちによって結成されたエレキ・バンドを母体とするザ・テンプターズは、1967年10月25日「忘れ得ぬ君」でレコード・デビュー。折からのGSブームの中で人気絶頂のタイガースの強力な対抗馬としてめきめきと頭角を現し、翌68年には「神様お願い!」の大ヒット(68年3月/オリコン2位)でブレイクする。タイガースのジュリーこと沢田研二とテンプターズのショーケンこと萩原健一は、GSが生んだ二大アイドルとしてシーンの頂点に君臨。女の子たちの人気を二分していく。
続く3rdシングル「エメラルドの伝説」(68年6月)は、初のオリコンNo.1ヒットとなり、以後、「おかあさん」 (68年9月/オリコン4位)、「純愛」(68年12月/オリコン8位)と順調にヒットを飛ばしていくが、翌69年にはGSブームも下火となり、多くのGS同様にテンプターズも人気に翳りが見えてくる。
さらに70年になるとGSの時代は完全に終焉を迎え、GSを取り巻く状況は冷え込む一方。テンプターズもレコード・セールスやコンサート動員力の落ち込みに歯止めが効かない状態だったが、バンド内にトラブルの火種を抱えていたわけではなく、70年9月には松崎が作詞・作曲を手がけたオリジナル新曲6曲が用意され、新作アルバムのレコーディングがスタートしている。
この新曲の中から「若者よ愛を忘れるな」と「理由なき反抗」をカップリングした先行シングルが10月25日にリリースされるが、結果的にこれがテンプターズのラスト・シングルになってしまう。12月に入りタイガース、スパイダースというGSの代表格グループが解散表明をし世間に衝撃を与えたが、水面下では2カ月前ぐらいから、タイガース、スパイダースの選抜メンバーに、ショーケンと大口広司を加えたスーパー・グループ「PYG」結成の構想が着々と進められていたのである。これが表立った対立は無かったものの、いつの間にかバンド内にショーケン+大口組とリーダー松崎といった微妙な図式が出来上がっていたテンプターズに揺さぶりをかけたのではないだろうか。
やがて正式に解散を表明したテンプターズは、1970年12月26日の新宿ニューACB、そして、今から45年前の今日12月27日に東京サンケイホールで行なわれた解散コンサートを最後にその5年の歴史に幕を下ろした。解散前に制作を終えていた新作アルバムは、『アンコール』というタイトルが付けられ、解散からひと月後の71年1月25日にリリース。メンフィス・レコーディングの影響からか、同時代のローリング・ストーンズにも通じるようなアメリカ南部志向のブルージーで骨太なサウンドが聴ける、なかなかの傑作である。もしも、テンプターズが解散することなく70年代も活動を続けていたら、「埼玉のストーンズ」による『Let It Bleed』風アルバムが生まれる可能性も十分にあったのではないだろうか。
最後に70年12月27日、東京サンケイホールでの解散コンサートのセットリストを記しておこう。当時このコンサートを体験したオールド・ファンの情報を頼りに作成したものなので、曲目・曲順等に実際とは異なる部分があるかもしれぬことをお断りしておく。()内は、ショーケン以外のメンバーによるソロ・ヴォーカル曲でのソロ担当者名。
[第一部]
1.神様お願い!
2.今日を生きよう
3.忘れ得ぬ君(松崎由治)
4.Born To Be Wind
5.Another Kind Of Love(松崎由治)
6.I'm Moving On
7.Cry To Me
8.The Long And Winding Road
9.復活
10.出来るかい?出来るかい?
11.Lalena(松崎由治)
12.Who'll Stop The Rain(田中俊夫)
13.Cotton Fields(.高久昇)
14.In My Life(大口広司)※萩原健一(ドラムス)
15.Inside Looking Out
16.Whole Lotta Love
17.青春の叫び
[第二部]
1.Honky Tonk Women
2.Sympathy For The Devil
3.The Last Time
4.Where Did Our Summers Go <愛のレッスン>(松崎由治)
5.愛の終り
6.エブリバディ・ニーズ・サムバディ
7.空白のブルース
8.Why Don't We Do It In The Road ※ゲスト:かまやつひろし
9.純愛
10.おかあさん(松崎由治)
11.エメラルドの伝説
12.Don't Let Me Be Misunderstood <悲しき願い>
13.See Me, Feel Me
14.We Gotta Get Out Of This Place <朝日のない街>
15.若者よ愛を忘れるな(松崎由治)
16.L'Amore È Una Colomba <恋は鳩のように>(松崎由治)
17.(I Can't Get No)Satisfaction
18.涙のあとに微笑みを
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