2017年02月08日
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2017年02月08日
本年はザ・タイガースが1967年2月5日に「僕のマリー」でレコード・デビューしてから50周年!
タイガース人気絶頂の1968~69年には主演映画も3本作られたが、それら全部にヒロイン役として出演した久美かおりさん、本日は誕生日。
1949年、東京都渋谷区生まれ。小学生の頃からクラシック・ピアノを習い、音楽系の大学に進学するも、ジャズ歌手を志向してマーサ三宅に師事、ステージで歌っていたところを平尾昌晃に認められたのがきっかけで渡辺プロダクションに所属したという。同社が経営する音楽喫茶「メイツ」で活動していたが、1967年12月31日公開の植木等主演映画『日本一の男の中の男』において、「若いってすばらしい」を歌う平尾昌晃と共に、同僚の山室(白鳥)英美子(後にトワ・エ・モア)や平山三紀(みき)らと「メイツガールズ」のクレジットで少しだけ登場。
そして翌1968年、人気絶頂のタイガース主演映画第1作『世界はボクらを待っている』のヒロインに抜擢され、19歳となった2月の下旬から撮影開始。公開は4月10日で、シンデレラ・ストーリーの始まりと思われた一方、やはり圧倒的な女性ファンの羨望と(その裏返しの)嫉妬の、分かりやすい標的となってしまったようだ。
この映画は同年1月15日から開催された『日劇ウエスタン・カーニバル』での「君だけに愛を」のライヴ映像から始まって、3月10日にタイガースの聖地ともなる武道館で開催された『花の首飾り/銀河のロマンス発表会』での模様もクライマックス・シーンとして劇中に盛り込まれたりするが、ドキュメンタリー風ではなく、かのビートルズ映画のように虚実入り乱れるファンタジー・コメディとなっている。
タイガースが歌う楽曲シーンも、それぞれ(今なら)プロモーション映像ともなり得るような趣向が凝らされており、箱根・芦ノ湖畔でタイガースと久美さんが一緒に歌って踊る「星のプリンス」も印象に残る。一部(役柄と同じく)「星のプリンセス」と変えて歌われるなどヒロイン的には見せ場だったが、アノ振り付けは、ま、フォーク・ダンス。
と、一見そのような学芸会的な部分を恥じたらしいタイガース側は物申したようで、同年12月19日に公開された主演映画第2作『華やかなる招待』ではタイトルの印象とは異なり、等身大の音楽少年たちの夢と挫折(と復活)の物語になっていたが、ファンタジーのヴェールを剥がしたら却って学芸会的な有様が露わになってしまい、タイガースも久美さんも映画も不完全燃焼という印象でアリマシタ(久美さん自身は同年6月15日に「くちづけが怖い」でレコード・デビュー。日本レコード大賞では新人賞も受賞するのだが)。
そのせいか1969年の第3作『ハーイ!ロンドン』は1作目に回帰したようなファンタジー設定となったが、折しも撮影されたこの年の夏は世界の若者音楽を先導していた欧米ロックが大きく変動する真っ只中。
「スマイル・フォー・ミー」の録音も兼ねて訪れた英国ロンドンでロケされ、その作者ビー・ジーズのバリー・ギブと逢うショットも挟み込まれているが、この映画でも映る公園のハイド・パークでは滞在中の6月7日に、クリーム解散後のエリック・クラプトンが新たに組んだブラインド・フェイスの初ライヴがあったし、7月5日にはメンバー・チェンジしてミック・テイラーを加えた新生ローリング・ストーンズのコンサートも開催されるという時期。さらに、1960年代を強力に牽引して来たビートルズが解散を前提として作ったアルバム『アビイ・ロード』が集中的に録音されたのも同年7~8月。そして歴史に残るロック野外フェス『ウッドストック』がアメリカで開催されたのも同年8月15日~17日。また、ロック映画とも言える画期的な『イージー・ライダー』の現地アメリカでの公開は7月14日。この『ハーイ!ロンドン』の公開日は7月12日だったが、渦中のロンドンに出向きながらも「タイガースの良質な音楽で(藤田まこと演じる)悪魔をやっつける」なんてノーテンキな映画だったのは、当時の世界との距離を感じさせてならない。
その6月5日にロンドンの日本料理店「ヒロコ」でジュリーと森本太郎がストーンズのミック・ジャガーと当時の恋人マリアンヌ・フェイスフルに逢ってサインを貰ったエピソードはファンには有名だが、実は久美さんも同席していて、「Love Yoko」(久美さんの本名は陽子)とも書かれたサインは「ちょっと…ジマンかな」と、タイガースなどの東宝GS映画DVDボックスの特典で(文字だけですが)ご本人がコメントされています(当時、ジョン・レノンの恋人として日本人オノ・ヨーコは広く注目されていたに違いないし、特にミックは前年12月にストーンズ主催のTVショー『ロックンロール・サーカス』で共演もしていたから、日本女性は何だかYokoだらけ?と思ったかも)。
同じく、『ハーイ!ロンドン』でも歌われた自身の曲「髪がゆれている」については「大好きなボサノバのリズムにのっての、作曲家・村井邦彦さんとのデュエットです。私のなかのスタンダードナンバーでしょうか」とのこと。
元々ジャズ志向だったことが想起される発言であるし、さっき酷評した『ハーイ!ロンドン』も久美さん的には最も素敵だったので、すでにシングル・レコード4枚をリリースしていたとはいえ、むしろ1970年代にこそ(前記の山室英美子や平山三紀のように)イメージを一新、本来の素質を活かした女性シンガーとして活躍する展開も大いにあったはずと思われるのだが、何故かこの映画の後ほとんど活動せずに1970年3月で芸能界を引退。
結果、タイガース全盛期に殉じたかのような印象が残っているのはご本人にしてみれば不本意なのかもしれないが、タイガース映画3部作は同時に永遠なる久美かおり3部作でもある訳なので、半世紀後の今あらためて久美さんにフォーカスしてDVDを観直してみようではありませんか。
≪著者略歴≫
小野善太郎(おの・ぜんたろう):高校生の時に映画『イージー・ライダー』と出逢って多大な影響を受け、大学卒業後オートバイ会社に就職。その後、映画館「大井武蔵野館」支配人を閉館まで務める。今春、太田和彦編著による『本物のシネフィルを育てた伝説の名画座・大井武蔵野館の栄光』出版予定。現在は中古レコード店「えとせとらレコード」店主。 著書に『橋幸夫歌謡魂』(橋幸夫と共著)、『日本カルト映画全集 夢野久作の少女地獄』(小沼勝監督らと共著)がある。
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