2017年11月30日
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2017年11月30日
落語界の異端児として1950年代中頃にブームを巻き起こした林家三平は、テレビの普及とも相俟ってスターの座を獲得。一躍時代の寵児となる。三平は、父の正蔵がかつて名乗っていた前座名(=柳家三平)であったが、1958年に真打昇進の際もいくつか候補のあった名跡を襲名することなく三平を名乗り続け、一代で大看板にした。その後も高座のみにとどまらず、テレビ、ラジオ、さらには歌手デビューも果たすなどあらゆるメディアで活躍をとげるも1980年に54歳の若さで世を去ってしまったのは惜しまれてならない。その後、三平の名は次男の海老名泰助が2009年に継承して現在に至る。11月30日は初代・林家三平の誕生日。存命であれば92歳となる。
テレビ時代の申し子ともいえる三平は、テレビから生まれた第一次演芸ブームの中心的存在で、“爆笑王”と呼ばれて大活躍した。高座には必ず黒紋付き袴で上がり、江戸落語の噺家として粋を重んじた反面、高座で立ち上がって歌ったり、客いじりに冴えを見せたその芸風は極めて革新的。父・正蔵ゆずりでお家芸ともいえる、額にゲンコツをあてての「どうもすみません」に代表される、いわゆる“すべり芸”も持ち味であった。そして印象的なのが、鉄板ネタ「ヨシコさん」を歌うアコーディオンの小倉義雄とのやりとりである。破天荒な三平の振る舞いに対して終始真面目に演奏を務める小倉とのコントラストが可笑しい。2016年に桑田佳祐が発表したシングル「ヨシ子さん」も、一世を風靡したこのネタがモチーフになっていることは想像に難くない。流行歌やコントを採り入れた三平流のアコーディオン落語は、父・正蔵がかつてバンドをバックにつけていたのに影響を受けたものと思われ、さらには正蔵の弟弟子にあたる柳家金語楼の「ジャズ落語」に由来するのではなかろうか。
抜群のリズム感で自慢のノドを披露していた三平はレコードも複数出している。最初は1959年にテイチクからSP盤として出された「ツーてばカー/おこチャのチャ」。共に門井八郎の作詞、小倉義雄の作曲によるもの。レーベルメイトの石原裕次郎とは同じ頃から売れ始めたこともあって親しい関係にあり、家族ぐるみの付き合いが続いたという。その関係が今でも続いていることは、こぶ平の正蔵、泰助の三平襲名披露時に石原プロモーションが全面的にバックアップしたことからも明らかである。最初のレコードから少し間をおいて、1962年にはシングル「三平の聖徳太子の七不思議/三平の熱海の海岸」、さらに3年後の1965年には姫之宮ゆりと歌った「ワッショイ踊り/(B面は姫之宮ゆりのソロ)」も出している。「ワッショイ踊り」は三平が司会を務めた日本テレビのバラエティ番組『踊って歌って大合戦』から生まれた歌で、そのアグレッシブな司会ぶりは当時大いに話題となった。
初代・林家三平のレコードで最も有名なものは、「バチ・バチ/ヨシコと歩けば」だろう。1968年東芝レコードからのリリース。「バチ・バチ」は“サイケデリック・ソングNo.1」とジャケットに書かれている通り、かなり先進的なサウンド。ラテンリズムのパタパタと、三味線のバチをかけた和洋折衷のノヴェルティソングであった。それに対して「ヨシコと歩けば」はペーソス溢れるバラードで男の悲哀が表現されていた。高座での爆発ぶりと実際の三平の真面目さの二面性を表すかの様なカップリングといえよう。1970年に出された東芝での2枚目「ひとりぼっちの恋/夜明けのムーチョ」は「ヨシコと歩けば」の曲調を踏襲する作品となり、結果的にこれが最後のレコードとなった。三平の十三回忌にあたる1992年には『林家三平メモリアル・ベスト』と題したCDアルバムが編まれ、これらの曲のほか、当時はレコード化されていなかった「好きです(ヨシコさん)」やザ・ピーナッツとの共演による「ふりむかないで」、その他洋楽スタンダードのカヴァーなどが収録されて、かつてのファンのみならず、若い世代の興味も促したのは記憶に新しい。溌剌とした歌声から、落語の枠を超えて芸能界で広く活躍したスターの魅力の秘密が窺える。ジャズに造詣の深い9代目林家正蔵や、大学時代に初代の声をハウス風にサンプリングしたCDをプロデュースしている2代目林家三平には、いずれ父親の曲をぜひカヴァーして欲しい。次女の泰葉しかり、とかく音楽とは縁が深い一家なのである。
「バチ・バチ」写真提供:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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