2016年11月10日
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2016年11月10日
今日11月10日は、ザ・ゴールデン・カップスのリーダーであり、ヴォーカリストとして知られるデイヴ平尾の命日。御存命ならば1週間後には72歳の誕生日を迎え、病に倒れる直前まで活動を共にしていたカップスの“親分”として現在も元気にステージに立ち、「I Got My Mojo Workin’」「One More Time」といった十八番を熱唱していたことだろう。古希を過ぎてもなお、往年と変わらぬガニ股ポーズで歌う姿をぜひ観てみたかったと思う。
デイヴ平尾は、1944年11月17日に横浜・本牧で外国航路船員専門のクリーニング店を営む平尾家の9人兄妹の8番目として生まれた。本名・平尾時宗。太平洋戦争末期、レイテ沖海戦の敗北など戦局が悪化する中で、日本の必勝を祈願した父親が鎌倉時代の元寇に打ち勝った北条時宗にあやかって名付けたものだった。そんな戦中生まれだが、戦後米軍に接収された土地が多かった本牧という場所柄と外国人船員が出入りしていた家業という環境から、もの心ついた頃から英語とアメリカ文化に馴染み、さらに音楽好きの姉の影響で、エルヴィス・プレスリーをはじめとする当時のアメリカン・ポップスに夢中になっていく。
やがて高校時代からアマチュア・バンドを結成し、大学生の時にスフィンクスというバンドを率いて米軍キャンプ等でも活動。地元では名の知れる存在となっていった。21歳の時に単身渡米し4カ月間、本場の音楽シーンを見聞した後、ホームステイ先の子供から、当時人気のTVドラマ『逃亡者』の主演俳優デヴィッド・ジャンセンに似ているという理由で付けられた「デイヴ」というニックネームと、大量のロック、R&Bのレコードを土産に帰国。渡米中に構想した新しいバンドを結成すべく奔走し誕生したのが「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」で、本牧のクラブ『ゴールデン・カップ』の専属バンドとして活動を始める。
1967年6月15日、「ザ・ゴールデン・カップス」と改名してシングル「いとしのジザベル」でレコード・デビュー。以来、72年1月の解散まで、メンバーの出入りが激しかったカップスにおいて、唯一オリジナル・メンバーとして残ったのはデイヴだけだった。決して強面タイプでは無かったがリーダーとしての資質は抜群で、遅刻常習犯揃いで、気が向かなければ演奏途中でステージを降りてしまうようなメンバーだらけだったカップスを見事に統率していく姿は、サーカスの猛獣使いをも彷彿させた。バンドリーダーというよりも、冒頭でも述べたとおり“親分”という表現がピッタリだったと思う。
実際、彼自身も自らを“親分”と呼ぶことを好んでいた。2004年に筆者はカップスのドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』の製作に関わったが、その時のインタビューの中で、彼は「メンバーにいつも言ってるんだ。オレが親分じゃなかったら、カップスなんてアッという間に解散してたぞって」と嬉しそうに語り、グループ内で起きる様々なトラブルの処理に追われたことを回想した時は、「親分は辛いんだよ~」とコボしてもいた。それでもカップスの親分であることに自負を持っていたし、何よりもそれを楽しんでいるように思えた。
映画『ワンモアタイム』をきっかけに再結成されたカップスで、久々に親分として、この類稀な個性派集団を統率・活動を続けていたデイヴ平尾だが、2008年に食道ガンが見つかり活動を中断。無事手術を終えたものの、療養中の同年11月10日に心不全で急逝してしまう。享年63歳だった。
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