2018年11月20日
スポンサーリンク
2018年11月20日
1967~68年のGSブーム期にシーンの頂点に君臨し絶大な人気を誇ったザ・タイガースだったが、69年以降のブーム衰退期はさすがの王者も時代の流れと無縁ではいられなかった。69年3月には以前から燻っていたバンド内のトラブルの火種が加橋かつみ脱退というかたちで“炎上”。なんとか“全焼”は免れて岸部シローを加えての新体制で再出発するものの、今度は瞳みのるが所属事務所の渡辺プロダクションに脱退を通告するという事態に(『週刊明星』がスクープ報道している)。バンド内に火種を抱えた不安定な状態であることに変わりはなかった。
GSブーム衰退の中でも69~70年にかけて3~4か月ごとのローテーションで新曲シングルのリリースが続いていたし、主演映画『ハーイ!ロンドン』制作や沢田研二、岸部修三・シロー兄弟のソロ・プレジェクト・アルバム発表、田園コロシアムでの野外コンサートなど、話題性に富んだ活動を展開していたため、傍目には気付き難かったがが、すでに70年代に入ってから何度かバンドと事務所の間では解散が協議され、田園コロシアム・コンサートのひと月前である70年7月には解散が内定。10月には年内解散が内々での決定事項となっていたのである。
そんな中、9月上旬からアルバム『自由と憧れと友情』のレコーディングがスタートしているが、メンバー全員が解散を前提として制作に携わった実質的ラスト・アルバムという意味では、ザ・ビートルズの『アビイ・ロード』制作時と似たシチュエイションでのセッションと言えるだろう。レコーディングされた全12曲の中から、最もタイガースのラストを飾るにふさわしい歌詞とタイトルの楽曲ということから、先行シングル・カット曲に選ばれたのが「誓いの明日」で、今から48年前の今日1970年11月20日、ザ・タイガース通算15作目のシングルとしてリリースされている。
作詞を後期タイガース楽曲の常連作家とも言える山上路夫、作曲・編曲を同じナベプロ所属のザ・ハプニングス・フォーのリーダーであるクニ河内が手がけているが、このコンビによるタイガース・オリジナルとしては、70年3月リリースのシングルのカップリング「都会」「怒りの鐘を鳴らせ」に続いて3曲目であり、オリコン18位にランクされた。
当時、日本グラモフォン(のちのポリドール)でタイガースの担当ディレクターであった折田育造の証言によると、アコースティック・ギターやパーカッションをフィーチャーしたサウンド、4人のハーモニーで始まる歌い出しなどは、同じ日本グラモフォンから日本盤がリリースされていたクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)を意識したものらしい。GSブームが終わり、ニューロックと呼ばれた新しいロックの波が押し寄せていた時代へのタイガースなりの対応だったのだろう。
B面に収録されたのは、アルバム『自由と憧れと友情』のオープニングを飾った森本太郎作曲の「出発のほかに何がある」。タイガース御用達の美容院『たぶろう』の経営者・安田富子の夫君であるジャン得永が作詞を手がけた唯一の作品であり、岸部シローのソロ・ヴォーカルがタイガースのシングルに収録された、これまた唯一の作品であった。
「誓いの明日」が発売された時点では、まだタイガースの解散は公式に表明されていなかった。しかし、女性週刊誌など芸能メディアでは盛んに解散説が流布されていたこともあり、AB両面で解散の決意と新たな旅立ちを匂わせる内容のこのシングルに、戸惑いを隠せなかったファンは多かったし、中にはメンバーからの最後のメッセージと受け止め、近い将来確実に訪れるであろうXデイへの覚悟を決めたファンも少なくはなかったのである。
1970年12月8日、ザ・タイガースは正式に解散を発表。翌71年1月24日の日本武道館でのコンサートで、レコード・デビューから約4年に亘る歴史に一旦幕を下ろす。この最期のコンサートはもちろんのこと、その後、82年の瞳みのるを除くメンバーによる同窓会コンサート、2011年の“ほぼタイガース”ツアー、2013年の再結成ツアーでも「誓いの明日」は演奏され、「ラヴ・ラヴ・ラヴ」と並んでタイガースのライヴのフィナーレを飾る定番曲として定着していくのである。
ザ・タイガース「誓いの明日」ジャケット撮影協力:中村俊夫&鈴木啓之
今からちょうど50年前の今日1969年7月12日は、ザ・タイガースの主演映画第3作『ハーイ! ロンドン』(東京映画)が封切られた日。作品自体はフィクションながらも、GSブーム終焉期におけるタイガ...
今から49年前の1970年5月23日にレコーディングされたザ・タイガース通算14作目のシングル「素晴しい旅行」は沢田研二作曲のオリジナル曲で、B面は森本太郎作曲の「散りゆく青春」。ザ・タイガース...
今から51年前の今日1968年5月15日にリリースされたザ・タイガースのセカンド・アルバム『世界はボクらを待っている』は、彼らの初主演映画のサウンド・トラック盤であると同時に初のベスト・アルバム...
オリジナルを一手に引き受けて作詞作曲し、独特のギターサウンドを駆使したテンプターズ・サウンドを生み出し、しかも惜しくも先日亡くなったショーケンと並んでソロ・ヴォーカルも担当したのが他ならぬリーダ...
1970年の本日3月20日、ザ・タイガース13枚目のシングル「都会」がリリースされた。実質的に当時のザ・タイガース最後の活動年となった1970年の最初のシングルで、クニ河内が作曲を担当している。...
本日3月15日は井上堯之の78回目の誕生日。晩年は仏教書を読み漁りながら、ギターを弾くこと、音楽を作ること、そして、生きていくことの意味を常に自問自答しながら創作に挑んだ求道者のような音楽家だっ...
1968年3月5日はザ・スパイダース「あの時君は若かった」のリリース日。あの時君は若かった(中略)小さな心を苦しめた僕をうらまずにいておくれ、と歌う詞。それは、恋をした時には、どうしても傷つけ合...
今から52年前の今日1966年11月5日にリリースされたワイルド・ワンズのデビュー曲「想い出の渚」は、二度のトラブルを乗り越えて世に出た日本ポップス史に残る永遠のスタンダード名曲である。 tex...
往年の人気GSスターだけでなく、1980年代以降のGS再評価ムーヴメントの中で、とりわけ人気の高いカルト系GSのオリジナル・メンバーたちも数多く集結する究極のGSイベント『GSフェスティバル20...
今から51年前の1967年11月2日は、ブルー・コメッツの「北国の二人」(作詞・橋本淳/作曲・井上忠夫)が幻の“オリコン史上初のシングル1位”に輝いた日である。1968年に正式にスタートしたオリ...
今から50年前の今日1968年7月10日にリリースされたザ・ワイルド・ワンズの「花のヤング・タウン」は、西武流通グループが渋谷進出の足掛かりとしてオープンした西武百貨店渋谷店のキャンペーン・ソン...
今から51年前の今日1967年6月26日にレコーディングされたザ・タイガースの3枚目のシングル「モナリザの微笑」は、中世ルネッサンス期のイタリアをテーマにしたクラシカルな作品で、その「王子様ルッ...
本日6月25日は沢田研二の誕生日。ジュリーも何と70歳ですよ。もっとも、ザ・タイガースのオリジナル・メンバーでは一番若い。ジュリーの魅力は様々ありますが、やはり1枚のシングル盤を引っ提げて、ヒッ...
6月22日はザ・ゴールデン・カップスのギタリストエディ潘の誕生日である。横浜の小湊町にあった米軍基地内に出入りしていたエディは、米国の最新ヒットや流行のファツション・スタイルを情報として得ながら...
50年前の今日6月15日(1968)、ザ・ジャガーズの第4弾シングル「キサナドゥーの伝説」が発売された。イギリスのデイブ・ディー・グループの大ヒット曲のカバーで、訳詞はシャンソンなどの名訳詞家か...
早すぎたJ-POP、それがザ・スパイダースの「真珠の涙」だ。そして筒美京平の珍しい編曲のみのクレジット、曲はムッシュかまやつことかまやつひろしだ。本日、6月5日は「真珠の涙」がリリースされた日で...
今から49年前の今日1969年4月3日、新生ザ・タイガース初のジャズ喫茶出演となった新宿ACBでのステージで、ギターを弾けない岸部シローはヤジり倒され、この一件がトラウマとなるが、やがてその屈辱...