2018年07月11日
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2018年07月11日
久留米から上京したばかりのチェッカーズのメンバーと、私が出会ったのは1983年の春だった。そして私は、予想だにしなかった彼らのマネージメントを担当することになった。私自身がミュージシャンだったので人の世話をする役目にはかなり戸惑った事を覚えている。
1983年は数十年もの月日が凝縮した年で、9月21日の「ギザギザハートの子守歌」デビューシングルを経て、ブレイクするキッカケになった1984年1月21日発売のセカンドシングル「涙のリクエスト」に至る時間はドラマチック過ぎて、彼らとのエピソードは映画の場面の様に次々と溢れ出て来、枯渇する事は一生ないだろう。
1983年7月31日は大分県別府市の城島高原での『九州音楽祭』に参加したが、これがメンバーと私の8人の最初の旅だった。そして8月初めに帰郷した彼らとしばらく久留米に滞在した。「東京よりマネージャー来たる」という触れ込みで大歓迎された事を覚えている。
あの年の7月11日のフミヤの誕生日は何処に居たのか? 皆、お金も無かったから、きっと東京で質素にお祝いをしたのに違いない。
2016年に大阪で松野泉という天才シンガーを紹介されたが、彼女はもの心つくと周囲から「藤井フミヤと誕生日が同じだよ」と言われ育ったそうだ。松野は1983年の7月11日生まれで、彼女が生まれた瞬間にもチェッカーズと私は抱えきれない夢を、ギターケースにぎっしり詰め込んでいた。
久留米に滞在中、私はメンバー個々の家を訪問し鶴久政治の家で昼寝から目覚めると、フミヤが側に座って黙って本を読んでいた。車で来ているから、と思い出になるスポットへ連れて行ってくれた。目覚めるまで待っている。そういう男が藤井フミヤだ。
フミヤとのエピソードには事欠かない。ブレイク後にテレ朝で特番を制作した事があり、 フミヤのソロ歌唱収録の場面でプロデューサーがサブルームで「小見山さん、なぜ今日に限りフミヤはサングラスしているの?」と聞いて来た。私はスタジオに降りサングラスを外すように促した。しかし彼は「寝る時間もないっちゃ。」と充血し腫れた目を見せた。
今のように携帯電話もパソコンもない時代、時間は圧縮しパフォーマーに押し寄せた。運命共同体として、その時とても悲しく可哀想だと思った。
サブルームから「小見山さん、もういいよ」とトークバックされ、サブに戻り収録場面を見つめていた。しかし「やっぱり止めてください」と再びスタジオに降りサブルームに繋がる音声を切ってもらった。
「コミさんはこの腫れた目を全国放送で見せろというの?」とフミヤ。
「それでもファンや視聴者はフミヤの瞳と会話したい。俺が責任を取るからサングラスを外してくれ」フミヤは下を向いたまま黙っていた。
再びカメラが回りイントロが始まったがフミヤはサングラスをかけたままだった。「あいつ・・!」と言った瞬間だった。歌が始まると同時にサングラスを空中に高く放り投げたのだ。イントロは藤井郁弥個人の自由を主張し、歌からのプロフェショナルなアーティスト・パフォーマンスは見事で、瞳はしっかりとカメラを射抜いていた。
フミヤは良く人の話を聞き自分で判断をする間、いつも黙っていた。だから真実を話さなかったり、利用しようとする不純物には極めて敏感だったと記憶している。フミヤは自分を素敵に見せる術をよく知っていて、それをいつも具現化する努力を惜しまなかった。この場面は昨日の事のように思い出す。
チェッカーズとは音楽界の怒涛の濁流を漕ぐサイレント・ボートマンであった。ファンの方々には意外かも知れないが「自由を求める」ロック魂を持った戦士と言って良かった。
様々な運命に翻弄され袂を別つ場面でフミヤに手紙を書いた。「音楽はお互いにずっと続けていよう。そうすればまた必ず出会うから」と。その後、亡くなったドラマーの徳永善也を送る会で再会すると、フミヤの第一声は「コミさん音楽続けてる? 俺はあの頃と何も変わっとらんとよ」だった。
「幾つになっても音楽を愛し夢を歌う少年でいよう!フミヤ誕生日おめでとう!」
チェッカーズ「ギザギザハートの子守歌」「涙のリクエスト」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
小見山將昭(こみやま・まさあき):静岡県御殿場市出身。10代からミュージシャンとして活躍。大学受験浪人中に旅に出、札幌で5年間暮らした後、東京へ戻った翌日にチェッカーズを紹介され、デビュー前からマネージメントを担当する。現在、一般社団法人創造再生研究所/代表理事。シンポジウム企画『ライブ・ドリアード』運営リーダー。音楽バンド DRYA-iDEA(ドリア・イデア)バンドマスター。 オフィシャルホームページ『藍りっぷる』 Ai-ripple.jp
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