2016年04月24日
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2016年04月24日
1986年にデビューしたヒルビリー・バップスは、88年3月にボーカリストが急逝した事により伝説のロカビリー・バンドと呼ばれ、活動を休止して25年以上経った今でもフォロワーが絶えないアーティストだ。
デビューのきっかけは俳優の永瀬正敏。当時のキティレコードは音楽のみならず映画の制作やミュージシャン、俳優も抱える総合エンタメ会社。ある日、永瀬正敏のバックバンドを探していた担当ディレクターの元に“原宿にイキのいい面白いロカビリー・バンドがいるよ”という情報が寄せられる。永瀬のマネージャーと共に早速ライブを見には行ったが、その演奏の拙さに落胆。しかしボーカル宮城宗典の魅力とスター性に惹かれた二人は、ヒルビリー・バップスをバックバンドでは無くアーティストとして契約する。当時のキティレコードはカルメン・マキ&OZ、RCサクセション、高中正義に安全地帯といったロック系のアーティストは擁していたが、アイドル系のバンドは不在。折しもチェッカーズが売れ始めた時期で、キティレコードはヒルビリー・バップスをアイドルバンドとして売り出そうと画策する。この戦略は当たりボーカリスト目当てのティーンエイジャー・ファンが急増。一方でデビュー前から支持していた男性ファンは一挙に離れていく。
彼らの歌謡アイドル路線の潮目が変わり出したのはセカンド・シングル以降であった。ディレクターは旧知の忌野清志郎にヒルビリー・バップスへの書き下ろしを依頼。宮城と会った清志郎は『おいらのソウル・ブラザー!』と呼ぶほど可愛がる。彼らをイメージして書かれた新曲「バカンス」は底抜けに弾けたポップ・ナンバーながら、ロカビリー独特のヒーカップ唄法をもしっかりと組み込まれ、ポップとハードが違和感無く同居したパーティー・チューン。1986年7月25日に2枚目のシングルとしてリリースされるや、その音楽性の高さは男性ファンにも一目置かれる存在になっていく。
デビューして半年後の86年10月、キティレコードは彼らをメインに据えたバラエティ番組「まんまとアイドル」を制作。テレビ朝日ローカルの深夜枠での放送であったがオンエア毎に視聴率は上がり、翌87年10月には遂に冠番組「ヒルビリーザキッド」を持つまでの人気を博した。この頃、彼らのビジュアルはインディーズ時代のような革ジャン姿のハード路線に戻し、さらに新しいファンを増やしていく。翌88年3月25日にはサードアルバムを発売。3日後の新宿パワーステーションで行われたレコ発ライブでバンドは超満員の客席に向かって渾身のパフォーマンスを披露。誰もがブレイクを確信したその翌日、宮城宗典は自宅近くのマンションで投身自殺を図る。遺書は残されておらず、原因は今もっても不明。同年5月5日には日比谷野外音楽堂で追悼ライブが行われ宮城と親交のあった忌野清志郎、仲井戸麗市、バービーボーイズの杏子やMAGUMI(レピッシュ)らが出演。その後バンドは新たなボーカルを加えて活動を再開させるも1990年5月の日比谷野音でのライブを最後に解散した。
宮城が在籍した期間はたったの3年と短かったが、彼らの及ぼした影響は計り知れず多くのフォロワーを生み続けている。親友でもあった永瀬正敏は映画『男はつらいよ 寅次郎の青春(1992)』の劇中でヒルビリー曲を歌い、「夢見る頃を過ぎても」を「For the boys…」というタイトルに変え93年にシングル発売。氣志團の綾小路翔は「夢見る頃を過ぎても」というタイトルの同名異曲を書き、自身のライブでもカバー曲を歌っている。又、湘南乃風の若旦那が4月6日に発表したソロ・アルバムには「ビシバシ純情!(4枚目のシングル)」のカバーが収められており、ヒルビリー・バップスはボーカリストの没後25年以上経った今でも、支持され続けているバンドであった。
デビュー30周年を迎えた今年は、7月23日に羽田国際空港・TIAT SKY HALLにて旧メンバーが集結しアニバーサリー・ライブを行う。又、関連商品のリリースも予定されている。
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