2016年07月07日
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2016年07月07日
本日7月7日は、おニャン子クラブの会員番号16番、高井麻巳子のソロ・デビュー・シングル「シンデレラたちへの伝言」がオリコン・チャートで1位を獲得した日。今からちょうど30年前、1986年のことである。
高井麻巳子は1966年12月28日福井県の生まれ。高校卒業後に美大進学を目指し上京したところ、フジテレビの『夕やけニャンニャン』内のオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」の企画でスカウトされ、85年に同番組のレギュラーであるおニャン子クラブの会員番号16番としてデビューすることになる。元々、芸能事務所に所属しておりスカウトは仕込みだったという説もあるが、おニャン子クラブは「どこにでもいそうな」「可愛い同級生」という素人感覚の集団というコンセプトで始まったものの、当初からオーディションの常連組や、既に芸能事務所に所属していたメンバーも参加していたことは、今では良く知られた話である。
高井麻巳子はメンバーの中でも正統派の美少女であったことから、最初から注目度は高かった。85年9月には同グループ初のソロ・デビューとなった河合その子のキャンペーンに「withおニャン子クラブ」として同行し、同年10月には岩井由紀子(ゆうゆ)と2人のユニット「うしろゆびさされ組」を結成し、アニメ『ハイスクール奇面組』の主題歌「うしろゆびさされ組」でデビューしている。当初は「キウイ組」という名前でシングル・ジャケットの印刷もされていたが、急遽、歌詞中にあった「うしろゆびさされ組」がユニット名に決まった。
「バナナの涙」「象さんのすきゃんてぃ」など、うしろゆびさされ組の楽曲はシュールでノベルティ度が高く、アイドル歌謡としてもアニソンとしても異色であったが、高井はグループの活動と並行して、86年6月に「シンデレラたちへの伝言」でソロ・デビューも果たす。こちらは一転、しっとりとした曲調で女の子っぽさが強調され、おニャン子クラブの中でも多面的な表情をみせるアイドルだったと言えよう。
「シンデレラたちへの伝言」の作詞は売野雅勇。通常おニャン子はソロ、グループとも秋元康が作詞を一手に引き受け、個々のキャラクターを書き分けていたが、秋元が高井に提供した詞は、同曲のB面「こわれかけたピアノ」1曲のみである。ことにデビュー曲を担当しなかったのは異例中の異例。売野の詞は男性の一人称で書かれており、実はチェッカーズに提供するはずの詞が高井に回ってきたという話もある。作曲の八田雅弘は以前に北沢英三の名でSKYという男性デュオを結成、カネボウ化粧品のCMソング「君に、クラクラ」をスマッシュ・ヒットさせていた。アレンジのLight House Projectとは、セッション・ギタリスト矢島賢が妻のキーボーディスト矢島マキ(田代真紀子)と組んで編曲を手がけるときの名義。ゆったりしたテンポで落ち着いたトーンの楽曲は、これ以降の高井のソロ作に共通する傾向で、おニャン子本体でリードをとった「アンブレラ・エンジェル」(アルバム『夢カタログ』収録)やうしろゆびの諸作にみられる弾けたポップスとは異なり、女性シンガー・ソングライター的な世界が拡がっている。2作目「メロディ」以降は清水信之がメイン・アレンジャーをつとめ、か細く不安定な高井のヴォーカルを引き立てつつ、厚めのキーボード・サウンドを軸に煌びやかなアレンジを施している。
おニャン子在籍時に出演した86年12月に公開の東宝映画『恋する女たち』では、主演の斉藤由貴、共演の相楽ハル子とともに、等身大の現代っ子を演じた。当初、監督の大森一樹は誰が出演するのか決まらないまま脚本を手がけ、“遊び好きなディスコの女王”という役柄に高井がキャスティングされたことでかなり困惑したという。役柄的には不似合いではあるが、意外とサバけたキャラクターは、これもまた彼女がみせる多面性の1つといえるかもしれない。
87年4月におニャン子を卒業、88年5月にはおニャン子クラブの仕掛け人、秋元康と結婚し、芸能界を引退する。あまりにあっけない去り方に驚きの声が上がったが、その後は小説や絵本の挿絵などを手がける程度で、家庭の人となった。
ほかに、高井麻巳子の意表を突く仕事としては、彼女自身ファンだったというRCサクセションの問題作『COVERS』収録へのゲスト参加がある。「サマータイム・ブルース」と「風に吹かれて」の2曲にコーラスで加わっているが、アルバムがリリースされたのは、彼女の引退後の88年8月15日だった。
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