2018年07月20日
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2018年07月20日
イギリスでデュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、アダム&ジ・アンツ等の若く、美しく、才能あふれるミュージシャンたちがニューロマンティック・ブームを巻き起こしていた80年代前半。ここ日本でも彼らに負けず劣らず美しくてチャーミングなアーティストたちが活躍していた。その代表的な存在が本田恭章であり、その本田と人気を二分していたのが“勝ちゃん”こと中川勝彦だった。
中川勝彦が最初にメディアに登場したのは高校時代で、NHKの歌番組にレギュラー出演していた。けれど彼が本格的に注目されるようになったのはその少し後で、まずは役者として才能を開花させた。1981年、19歳の時に薬師丸ひろ子主演の映画『ねらわれた学園』でクラスメートの役を演じたのを始めとして、数々の作品に出演。美しく洗練されたルックスで徐々に注目を集めるようになっていった。
その一方で音楽活動への夢もしっかり持ち続けていた勝ちゃん。念願叶ってヴォーカリストとしてデビューしたのは1984年、21歳の時だった。ワーナー・パイオニアから同時リリースされたシングルとアルバムは、どちらも透明感溢れる勝ちゃんの顔写真がドアップにトリミングされた印象的なジャケットで、しかもそのタイトルは『してみたい』というちょっと妖しげなものだった。
ただ作品の中身はジャケットやタイトルから受ける印象とは違って、音楽的にかなり興味深いものだった。ムーンライダースの白井良明をプロデューサーに迎えて作り上げられたサウンドは、全体的に当時全盛だったニューロマンティック風な雰囲気を醸し出していて、勝ちゃんならではの世界を感じさせてくれた。作家陣にも原田真二や銀色夏生などの豪華な顔ぶれが並んでいて、中川勝彦のデビューにかけるレコード会社の意気込みがどれだけ大きかったかが分かる。
私は当時、『ROCK SHOW』という雑誌で勝ちゃんを担当していて、何度も取材をさせてもらっていた。その中でも忘れられないのが「勝ちゃんと湘南デート」の取材だ。
それは、とある休日、彼の愛車フィアットに乗って東京を出発して二人が大好きな音楽をかけながら逗子マリーナまでドライブするという、まさに夢のような一日をドキュメンタリー風に誌面で紹介するというもので、読者に勝ちゃんとの妄想デートを楽しんでもらおうという趣旨の記事だった。外苑前から始まった撮影は、途中、何ヵ所かで撮影が行われ、逗子で終了したのは夕方だったと記憶している。勝ちゃんは実際に自分の車を運転してくれたばかりでなく、デート中風の写真を撮るためにカメラマンが繰り出す無茶な注文にも終始爽やかな笑顔で対応してくれた。
中川勝彦を評する言葉として「クールな外見とは違って性格はいたって気さくで茶目っ気がある人だった」といったものをよく目にするが、私の印象もまさにそういった感じ。ルックスが良いのはもちろんのこと、知性もあって、頭の回転も早くて、まさに完璧な人のように見えるのに、全く気取ったところがなく、明るくて本当に気持ちの良い人だった。
私にとっては残念なことに、デビュー当時はそんなアイドルチックな取材にも協力してくれた彼が、作品を追うごとにどんどん本格的なアーティストに変貌していき、いつの間にか『ROCK SHOW』向けの存在ではなくなってしまった。
CHARとユニットを組んで活動したり、楽曲作りも行うようになるなど、音楽活動に力を入れながらも、役者や声優としてテレビ、映画に出演したり、ラジオでDJを務めたり、時には文章を書くなど、本当に豊かな才能で中川勝彦ならではの世界を表現し続けた。
白血病に倒れて急逝した時、彼はまだ32歳だった。その若さで突然、私たちの前から消えてしまったせいなのか、勝ちゃんにはキラキラと輝いた稀有な才能といったイメージしか残っていない。もしも今、勝ちゃんが生きていたら、どんなアーティストになっていただろうか。それを観られなかったのはとても残念だけれど、彼のDNAは愛娘しょこたんこと中川翔子さんにしっかり受け継がれているに違いない。
彼女のちょっと憂いを秘めた笑顔を観ると、あの湘南デートの撮影中に勝ちゃんが見せた静かな色気のようなものをふと思い出す。
中川勝彦『してみたい』ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
榎本幸子(えのもと・さちこ):音楽雑誌「ミュージック・ライフ」「ロック・ショウ」などの編集記者を経てフリーエディター&ライターになる。編著として氷室京介ファンジン「KING SWING」、小室哲哉ビジュアルブック「Vis-Age」等、多数。
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