2018年07月13日
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2018年07月13日
本日は「13日の金曜日」、(迷信で)不吉とされる日。
もっとも、どうやら根拠は無さそうで、実際この日に世界を揺るがすような歴史的な大事件が起こったことも無いようですが、それでも何となく「仏滅」よりは気になるかな~。
さて、本年と同じく1973年の7月13日も金曜日でしたが、この日こそは、その後の日本のカルチャーに多大な影響を及ぼすことになる起点の日だった。
と書くと、いささか大げさですが、TVの人気ドラマ『太陽にほえろ!』で萩原健一、ショーケン扮する愛称・マカロニ刑事が死ぬ「13日金曜日マカロニ死す」が放映された日なんですね。
なーんだ、と思われるでしょうか。しかしながら、以下に挙げる数々の事柄は、この出来事に起因する、と言い切っても決して過言ではないように思われてなりません。
1)このドラマ自体としては、当初は新人刑事の成長物語の側面を持つ構想だったのが、その意味での主演であるショーケンが(あろうことか)強く主張した降板(しかも出来るだけカッコ悪い死に方をしたいとの要望)を遂に受け入れざるを得なかった製作側は、逆転の発想というか、ま、苦肉の策というか、後釜に当時は無名の松田優作を抜擢。そしてブレイクした優作も、やがてはショーケンと同じく劇中で死ぬことで黄金のパターンが確立。
以降、若手の男性俳優を次々に発掘・登用しては折を見て死なせて入れ替えることで14年以上にも及ぶ人気長寿番組として君臨することになる。(かの「モーニング娘。」も、ここから学んだ、わきゃないか)
また、その後に同じく石原裕次郎が関わったTVドラマ『大都会』『西部警察』、さらには『あぶない刑事』やら『踊る大捜査線』やら『相棒』やら、様々な刑事系ドラマのルーツにもなったはず。
2)ショーケンとしては、同ドラマでは出来得なかった構想を翌年の主演TVドラマ『傷だらけの天使』で結実。
芽が出ないまま役者から足を洗おうとしていたという水谷豊を率い、演出には東映実録ヤクザ映画『仁義なき戦い』シリーズで絶好調だった深作欣二、同じく日活ロマンポルノで水を得た魚のように才能を花開かせていた神代辰巳という1970年代前半のヴィヴィッドな日本映画の頂点に居た両監督を始めとして、映画の監督を重用。
かの早川義夫の警句「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を逆手に取ったかのように「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」と思わせるシラケ世代のアナーキーかつコミカルながら切実な映画的ドラマを展開。強烈に記憶に残る伝説的存在となった。
3)ショーケンの後追いを続けていたと言われる松田優作も「なんじゃこりゃあ」の名セリフを残して『太陽にほえろ!』から旅立った後年には、音楽面なども含めて『傷だらけの天使』的なセンスが横溢する主演TVドラマ『探偵物語』(1979年)を作っている。
ただし、優作の名誉のためにも言い添えるならば、その後の優作がショーケンに優っていたのは、既存の、年配の、旧来の巨匠たち(その究極は、天皇・黒澤明監督)に教えを乞おうとしたショーケンとは異なるベクトルで、映画会社での経験の無い、自主製作映画出身の、当時まだ一般的には新人と言っていい俊才・森田芳光監督(優作とは同学年)と低予算の映画『家族ゲーム』(1983年)で組み、共闘して新しい映画表現に挑み、見事な成果を挙げた姿勢にあると思う。
(個人的エピソードを1つ。ショーケンも出演した黒澤明の『影武者』が公開された1980年、むしろ日本映画ファンの度肝を抜いたのは、黒澤とは対極的な人気のあった鈴木清順監督が密かに撮っていて公開も映画館チェーンではなく東京タワー下の駐車場に出現した半球形の移動テントのみという異色作『ツィゴイネルワイゼン』だったが、私が観終わって外に出たら、ちょうどオートバイの2人乗りカップルが到着、ヘルメットを脱ぐと、あらま、優作と女優の熊谷美由紀さんじゃありませんか! その後、離婚した優作と結婚することになって納得したものですが、併せて清順監督の次回作『陽炎座』が優作主演となったことを知った時には、あの日に観てアプローチしたのかな~と、何だか歴史的瞬間に立ち会えたような気がしたものでした)
4)音楽的側面ならば、何より『太陽にほえろ!』の音楽を、それまで無かったロック系の井上堯之バンド(ショーケンとジュリーが居たPYGの母体、もちろんベースは岸部一徳)が作曲も演奏も担当することを強く主張して実現に至らしめたのは正しくショーケンの画期的な功績の1つですが、それをキッカケとしてショーケン(やジュリー)が主演するTVおよび映画の音楽もまた、主にTVではメンバーの大野克夫、映画では井上堯之が担当することになった。
このTVと映画での住み分けも必然的なものがあり、いわば短距離走のTVドラマの音楽には瞬発的な技を駆使して場面を一気に盛り上げる大野がピッタリであり、一方、マラソンとも言える映画では鷹揚に構えて付かず離れず寄り添い続けて作品を盛り上げる井上の音楽こそが最適だったと思われる。
ちなみに松田優作の最後の日本映画出演となったのは深作欣二監督の『華の乱』(1988年、ショーケンは出ていない)だが、そこで井上堯之が音楽を担当していたことも、ショーケンと優作の関係の因縁めいたものを感じさせたりする。
そういえば、ショーケン主演の『アフリカの光』(1975年)の原作を書いた小説家・丸山健二氏は映画の出来映えに激怒。キリリと精神が屹立する感が強い丸山と、軟体動物的ぐちゃぐちゃ演出に妙があった(ショーケンご贔屓の)神代辰巳監督の演出は笑っちゃうほど水と油であり、当時大学生だった私は長野県に帰省した折、同県に住んでいる丸山が地元の「信濃毎日新聞」紙上でバッサリ斬り捨てているのをたまたま目にしたのだが、その中で確か「唯一、井上堯之の音楽だけは自分の作品の本質を理解していて素晴らしい」というように特筆していたのが印象的だった。
以上、とりあえず思い付いたことを列記してみた次第。(大幅な字数オーバーのためにカットした事柄も、まだ複数ありますが)
もちろん常にショーケンだけが中心に居て全てを仕切っていた訳ではないにしても、何者かの差配、いやいや、神様の思し召しで『太陽にほえろ!』に起用されたこともさることながら、そこで独自の存在感を発揮して獲得した地位を自ら捨て去り、新たな扉の数々を開いて行こうとするオリジネイター魂が炸裂した記念日が「13日の金曜日」だったのならば、こりゃあ「不吉な日」どころか、そこから派生した上記のような数々の大いなる愉しみを享受し得た我々も「ラッキー・デイ」として盛大に祝うべきでありましょう♪
≪著者略歴≫
小野善太郎(おの・ぜんたろう):高校生の時に映画『イージー・ライダー』と出逢って多大な影響を受け、大学卒業後オートバイ会社に就職。その後、映画館「大井武蔵野館」支配人を閉館まで務める。現在は中古レコード店「えとせとらレコード」店主。 著書に『橋幸夫歌謡魂』(橋幸夫と共著)、『日本カルト映画全集 夢野久作の少女地獄』(小沼勝監督らと共著)がある。
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