2018年12月28日
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2018年12月28日
古賀政男、服部良一らが主導して「日本作曲家協会」が設立されたのは1959年のことだった。同年5月にアメリカでグラミー賞の第1回授賞式が開催されたことを受け、その年の日本を代表する歌を選出するために創設されたのが「日本レコード大賞」である。1959年12月27日に開催された第1回日本レコード大賞の授賞式では、記念すべき最初の大賞受賞曲として水原弘「黒い花びら」が選出された。それから一年後、1960年12月28日に開催された第2回では、和田弘とマヒナ・スターズとまだ新人だった松尾和子が一緒に歌った「誰よりも君を愛す」が大賞に輝く。
レコード大賞が創設されたばかりの頃はまだ一般的に浸透しておらず、第1回の水原弘が受賞の報を聞いて、「レコード大賞? なんだそりゃ」などと漏らしたというエピソードがあるほど。まだ賞の数も少なく、TBSで放送された番組名も現在の『輝く!日本レコード大賞』ではなく『日本レコード大賞 授賞発表音楽会』だった。第1回の会場、東京・文京公会堂から神田共立講堂へ移して開催された第2回では新人賞が新設され、橋幸夫が「潮来笠」で受賞。現在の最優秀歌唱賞にあたる歌唱賞の1枠は美空ひばり「哀愁波止場」が、ほかに小林旭が「ズンドコ節」「ダンチョネ節」で企画賞を受賞している。そして大賞に輝いたのは松尾和子、和田弘とマヒナ・スターズによる「誰よりも君を愛す」。ここから3年連続でビクター専属歌手が大賞を受賞することになるのだが、賞の創設に際して最初から賛同を示した数少ないレコード会社のひとつだったと聞けば納得がゆく。
松尾は前年にデビューしたばかりの新人で、デビュー曲の「グッド・ナイト」も和田弘とマヒナ・スターズとの共唱だった。以後、ビクターの新人女性歌手のデビュー時にマヒナ・スターズがバックアップする形は通例となってゆく。「誰よりも君を愛す」の作曲はビクター専属作曲家の頂点にいた吉田正。マヒナと松尾はもちろんのこと、第3回で大賞を獲るフランク永井、第4回の橋幸夫と吉永小百合らはみな吉田の門下生であり、彼らは“吉田学校”と呼ばれて歌謡界の一大勢力を誇ったのである。そして「誰よりも君を愛す」の作詞はそれまで映画やテレビの原作や脚本を主に手がけていた川内康範で、作詞家としてこれが歌謡曲の初ヒットとなった。以降も「骨まで愛して」「君こそわが命」「伊勢佐木町ブルース」など業の深い作品でヒットを連ねてゆくことになる。
「誰よりも君を愛す」は、川内が月刊「明星」誌で連載していた同名の小説がモチーフとなっており、氏の作品には同様のパターンが多い。曲のヒットを受けて同年にはタイトルもそのままに大映で映画化され、翌61年には続編『誰よりも誰よりも君を愛す』も公開されている。さらにフジテレビでテレビドラマ化もされるなど、大きな展開を見せた。ロングヒットとなったこともあり、シングル盤は当初発売されたものと、レコード大賞受賞後にデザインを一新して出されたものとの2種が存在する。松尾和子の写真が大きくフィーチャーされているのが初期版である。
※吉田正の「吉」は「土に口」ですが、システムの都合で、「吉」とさせていただきます。
和田弘とマヒナ・スターズ「誰よりも君を愛す」(2タイプ)「グッド・ナイト」橋幸夫「潮来笠」美空ひばり「哀愁波止場」小林旭「ズンドコ節」「ダンチョネ節」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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