2016年05月17日
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2016年05月17日
当時のビクターレコードの看板歌手だった、フランク永井、和田弘とマヒナ・スターズの強力なバックアップを受けてレコード・デビューした松尾和子は、瞬く間にスターとなった。「グッド・ナイト」「誰よりも君を愛す」「再会」などを次々とヒットさせて、やがて“ムード歌謡の女王”と呼ばれるまでになる。その後は女優やタレントとしても活躍し、ホームドラマ『池中玄太80キロ』で長門裕之と結ばれる喫茶店の女主人の役などはとりわけ印象深い。これからますます円熟の歌声を聴かせてくれようという時期に、不慮の事故により57歳の若さで世を去ってしまったのは大いに惜しまれる。1935年、東京大田区蒲田に生まれた彼女の誕生日は5月17日。存命であれば81歳になる。
戦後、日本で活躍したフィリピン人のジャズ・クラリネット奏者、レイモンド・コンデのバンド、ゲイ・セプテットの歌手として進駐軍のキャンプなどでキャリアをスタートした松尾は徐々に人気を得て、力道山が経営していた赤坂の「クラブ リキ」の専属歌手時代にフランク永井の目に留まり、作曲家・吉田正の紹介でビクターへ入社することになったという。1959年7月に発売されたデビュー・シングル「グッド・ナイト/東京ナイト・クラブ」は、A面が和田弘とマヒナ・スターズとの共唱、B面がフランク永井との共唱という実に贅沢な共演盤であり、いかに大きな期待を背負ってのデビューであったかが窺われる。作曲はもちろん吉田正、作詞もエースの佐伯孝夫、正に鉄壁の布陣であった。
当然の如くデビュー・ヒットを記録した後、12月に出された「誰よりも君を愛す」は、やはりマヒナとの共演で翌年にかけて大ヒットを記録。1960年の日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしている。子供向けのドラマ『月光仮面』の原作と脚本で名を馳せた川内康範にとって、作詞を手がけた歌謡曲の初ヒットとなった。大映で映画化された同名の作品も好評で、翌61年には続編の『誰よりも誰よりも君を愛す』が作られた。“続”や“新”などでないところがなんとも洒落ている。同年にはフジテレビでドラマ化もされており、かなりのブームを呼んだ様子である。
今よりもレコードのリリースがずっと頻繁だった当時、シングルはもちろんのこと、アルバムも精力的に制作された。10吋盤の時代に人気を博したオリジナル・アルバムは題して『夜のハスキー』。10集を超えて出された人気シリーズはひたすら夜のムードが追及され、松尾の魅力的なハスキー・ヴォイスが冴えわたる。ジャケットの写真もどれも悩ましく美しい。大人に向けたムード歌謡の歌い手は数多かれど、終始一貫、ここまで徹底して独自の路線を貫いた女性歌手は少ないのではないだろうか。現在では失われてしまったとおぼしい“紳士の嗜み”という言葉が似合う、上品な都会派ムード・ポップスの宝庫なのだ。例えば、フランク永井の「好き好き好き」に対してのアンサーソング「嫌い嫌い嫌い」に思わずニヤリとさせられてしまうことは必至。これぞ歌謡曲の“粋”であろう。
松尾和子の話題となると、どうしても不幸な晩年のことばかりが取り沙汰されてしまうけれども、歌手としてのずば抜けた実績はもっと評価されて然るべき。その他、シングル作品のタイトルをざっと追ってみても、「夜がわるい」「ピンクの灯りを消さないで」「天使も恋をするかしら」「とってもたのしくしてあげましょう」「本当に行ってしまうのネ」「男は知らない」「ひとりでねむる夜はいや」「揺れる耳飾り」「ドライ・ジン」「愛の吐息」「あたしのあなた」「久し振りね」「おじゃましたいの」・・・etc.どうだろう、魅惑的なラインナップにクラクラしませんか? 就寝前に聴いたら眠れなくなってしまいそうなタイトルばかりだが、素晴らしい名曲揃いなのである。これらの曲が今では殆ど聴けないのは残念で堪らず、『夜のハスキー』全タイトルを是非ともCD復刻していただきたいと願うばかりである。と、言われてもピンとこない貴方へ。50歳を過ぎたら必ずや彼女の魅力に気づかされる日が来ます。松尾和子を可愛いと感じた時、やっと少し大人になれた気がしたのでありました。
※「吉田正」の表記について…正確には「土」に「口」ですが、ディバイスやブラウザーによる文字化けの不安がありますので、「吉田正 」「士」に「口」で表記します。ご了承ください。
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