2017年03月13日

多種多彩! 吉永小百合が歌ったノヴェルティ・ソング

執筆者:鈴木啓之

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終戦の年、1945年3月13日に東京渋谷区に生まれた吉永小百合は既に古希を迎えて久しい。そのことが信じられないくらい気品ある美しさが衰えることないのは奇跡的でさえある。子役時代から活躍したこともあってか当時には珍しい本名での芸能活動となったが、この美しい名前ならば芸名を考える必要もなかったであろう。1960年、15歳の時に日活へ入社して看板スターとなり、以来ずっと第一線で輝き続ける彼女は日本を代表する国民的女優といえる。一方で、歌手としても多くのレコードを発表し続けてきた“歌う女優”であることも忘れてはならない。マヒナスターズと歌われたデビュー曲「寒い朝」や、橋幸夫と歌ってレコード大賞を受賞した「いつでも夢を」、さらに主演映画の主題歌などは殊に有名。しかしそのディスコグラフィを眺めてみると、いわゆる企画盤の意外な多さに驚かされる。ここでは歌手・吉永小百合によるノヴェルティ・ソングを拾ってみたい。

輝かしい芸能界での歴史のスタートは、小学校3年生の時にラジオドラマ『少年ケニヤ』の主役に選ばれたことであった。さらに1957年に出演したテレビ映画『赤胴鈴之助』のヒロイン役で脚光を浴び、テレビドラマへの出演が増えてゆく。1959年には松竹『朝を呼ぶ口笛』で初映画出演。翌年いよいよ日活に入社する。当初は主演だけではなかったものの、3年目位からは主演作品が次々に連なり、浅丘ルリ子や芦川いづみと並ぶ看板女優になっていった。その中で初めて吹き込まれたレコードが、1962年4月に発売された「寒い朝」である。前年の5月に作曲家・吉田正の門下生となってレッスンを積んでから約一年後に満を持しての歌手デビュー。6歳の時から習っていたというピアノで培われた抜群の音感とリズム感が発揮され、50万枚の売上げを記録した。続く2枚目は主演映画の同名主題歌だった「草を刈る娘」、そして3枚目の「いつでも夢を」では橋幸夫とのデュエットで第4回日本レコード大賞グランプリの栄誉に輝く。授賞発表音楽会は1962年12月27日の日比谷公会堂にて。この頃はまだ大晦日の発表になる前だった。

以後もビクター専属歌手として、主に佐伯孝夫の作詞、吉田正の作曲による作品でヒットを重ねてゆくわけだが、歌う女優ナンバーワンとなった吉永は、当時日本中が沸いていたアジア初のオリンピック東京大会関連の曲も歌うことになる。各社競作となった「東京五輪音頭」には参加しなかったものの、1963年3月に出された「フラワー・ニッポン」は明らかな五輪ソングで、カップリング曲も橋幸夫ほかが歌う「東京オリンピック音頭」であった。間に再び橋と歌ってヒットした「若い東京の屋根の下」や、代表作のひとつとなる映画の主題歌「伊豆の踊子」といったおなじみのナンバーを挟みつつ、その年の暮れには人気歌手の証しともいえるクリスマスソングを発売する。A面が厳かな「きよしこの夜」というのがいかにも吉永らしい。カップリングの「ジングルベル」では弾けた一面も。明けて1964年初頭に出された「フレッシュ東京」はやはりオリンピック関連の歌で、マイナー調が多かった彼女の歌の中では数少ないメジャー展開の明朗ソングのひとつに挙げられる。この頃、レコードはモノラルからステレオの時代へと移行し、吉永のシングルもモノラル盤はこれが最後。次に出された三浦洸一とのデュエット・ソング「みどりの河」からはステレオ盤での発売となった。

ステレオになって2作目の「そこは青い空だった」では、全日空が初めて導入したジェット機、ボーイング727が歌われている。東京オリンピックを控えて新幹線や高速道路など地上の交通網が整備される中で、運輸省は空の近代化にも取り組み、国内線のジェット化を推進したのである。羽田-札幌間の就航を記念し、同曲を収めたPR用の非売品フォノシートも作られた。そしてこの年、オリンピック開催の翌月にあたる11月に、吉永のレコードの中でも最も珍曲といえる「うどんの唄」が発売される。「瀬戸のうず潮」のB面に配されたこの曲、歌っているのはロイヤル・ナイツで吉永は台詞での参戦なのだが、コミカルな曲調に対して、林芙美子の「放浪記」の一節を朗読する吉永のナレーションはいたって真っ直ぐで、不思議な世界観が醸し出されている。実にシュールなのである。翌1965年に出された「天満橋から」のB面曲「奈良の春日野」がずっと後にバラエティ番組『オレたちひょうきん族』で取り上げられ、“鹿のフン”の歌詞で話題になったのと同じで、いわゆる託まざるユーモアというものであろう。「うどんの唄」や「奈良の春日野」の詞を、当時の吉永はどんな思いで読み、歌っていたのだろうかとつい想像してしまうのだ。

1966年3月発売の「ねむの木の子守唄」は皇太子妃美智子さま(当時)の作詞による歌で、キングの梓みちよ、ポリドールの西田佐知子らとの競作となった。それからちょうど一年後の1967年3月に出された「世界の国からこんにちは」も競作ソング。3年後に開催を控えていた日本万国博覧会のキャンペーンソングとして余りにも有名だろう。東芝でこの歌を出した坂本九と共に万博政府出展懇談会委員に選任されて宣伝活動に一役買ったのだった。この辺りになると、初期の佐伯-吉田コンビの作品だけではなく、作詞陣では岩谷時子やなかにし礼、作曲陣では中村八大、鈴木邦彦、筒美京平らとバラエティに富んで、曲のレパートリーも拡がりを見せている。荒木一郎が手がけた「ひとりの時も」や「ちいさな命」、北山修-はしだのりひこによる「もうすぐ陽がのぼる」、五つの赤い風船とのコラボ「遠い空の彼方」など、時代に即したフォーク調の楽曲にも果敢に取り組んだ。昭和の内に出されたレコードはシングル盤だけでも60枚に及ぶ。名女優・吉永小百合は歌手活動においても実に貪欲な姿勢を見せていたのである。

※吉田正の「吉」は「土・口」が本来正しい文字ですが、技術的な制限により不正確なものとなっています。

≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
寒い朝 (MEG-CD) 吉永小百合/和田弘とマヒナスターズ

いつでも夢を (MEG-CD) 橋幸夫,吉永小百合,和田弘とマヒナスターズ,三田明,トニーズ

<あの頃映画> 朝を呼ぶ口笛 [DVD]田村高広 (出演), 瞳麗子 (出演), 生駒千里 (監督)

草を刈る娘 (MEG-CD) 吉永小百合

若い東京の屋根の下 (MEG-CD) 橋幸夫/吉永小百合

伊豆の踊り子 (MEG-CD) 吉永小百合

そこは青い空だった (MEG-CD) 橋幸夫/吉永小百合

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