2018年09月07日
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2018年09月07日
素朴で親しみやすい笑顔の、庶民的なキャラクター。背中を丸めながらアコースティック・ギターをつま弾く、ちょっと寂し気な姿。70年代後半のアイドル・ポップスを語るときに、忘れ難い一輪の花。本日9月7日は、歌手・清水由貴子の誕生日。存命なら来年、還暦を迎える。
清水由貴子が日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決選大会に出場し、イルカの「なごり雪」を歌ったのは1976年2月18日のこと。ここで14社からのスカウトのプラカードが上がり、最優秀賞に輝き、歌手デビューへの道が拓けた。この時、同じ決選大会に出場していたのが静岡出身の根本美鶴代と増田恵子の2人組、のちのピンク・レディーであったことは有名な話である。同番組の審査員であり、清水のデビュー曲を手掛けた作詞家の阿久悠によると、すでにテレビ予選の段階から彼女の注目度は高く、決選大会の大本命になることは予想されていたという。既に、デビュー前の時点で清水由貴子には、プロの目を釘付けにする輝きを持ち合わせていたのだ。
デビュー後に明らかになることだが、彼女の生い立ちは決して幸福なものではなかった。小学生の時に父を亡くし、中学の時からアルバイトをして母と妹と3人の生活を助け、近所によくお米を借りに来た、というエピソードが語られることもあった。庶民的な雰囲気の中に、どこか翳りと哀愁を感じさせる彼女の姿は、人の心を惹きつけるのに十分な魅力を持ち合わせていたのだろう。『スター誕生!』の司会者・萩本欽一はのちに「同情とは別の部分でその執念を理解した」と語り、「立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った」とも述べている。そう思わせたのは山口百恵と清水由貴子の2人だったという。彼女のプロデュースをつとめたCBSソニーの酒井政利も同様の感想を述べている。
その清水由貴子は77年3月1日、「お元気ですか」でデビューを飾る。阿久悠が作詞し、三木たかしの作曲と、同番組の審査員2人が手がけた「お元気ですか」は、彼女が決選大会で歌った「なごり雪」のイメージそのままに、シンプルで覚えやすいフォーク・タッチのメロディーにのせた手紙文のような歌詞で、恋人への問いかけのようでもあり、不特定多数の聴き手に対してのメッセージにも受け取れる。メジャーのメロディーながらサビ部分でマイナーに転調し、最後はソフト・ランディングする三木たかしのメロディーも美しい。阿久=三木コンビはこの年、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、西城秀樹「ブーメランストリート」などの傑作を放っているが、「お元気ですか」は、楽曲的な仕掛けや技巧をまったく感じさせない、まるで1人の作家が作詞と作曲を同時に行ったかのような、いわばシンガー・ソングライター的な作風であり、阿久=三木コンビの阿吽の呼吸を感じさせる名曲だ。
阿久悠は自身の回想録の中で、この「お元気ですか」についてある運命のようなものが作用したのだろうと語っている。決選大会でグランプリを逃したピンク・レディーが先にデビューし、爆発的な人気を得てしまい、大きく期待されていた清水由貴子の「お元気ですか」が思ったほど売れなかったのは、自分のせいではなかったか、と。デビュー時点では期待されていなかったピンク・レディーには作詞面での冒険ができたが、清水に提供する詞はある程度決まった形になってしまうとも。「お元気ですか」はチャート30位前後にとどまったものの、当時の新人歌手のデビュー曲としては及第点ともいえる成績である。
同じ阿久=三木コンビで作られた2作目の「明日草」は一転してマイナーのアップテンポ。おっとりした彼女のイメージには合わない風だが、1曲目がフォーク調で自己紹介的にデビュー、2曲目にマイナーのアップ・ナンバーで少女の切迫感を演出する方法は、CBSソニーの酒井ディレクターが山口百恵の「としごろ」~「青い果実」でみせた方法論であり、その後82年に三田寛子「駈けてきた処女」~「夏の雫」でも試みている。
清水由貴子のシングル曲は、デビューから5作目「多感日記」まで継続して阿久=三木コンビが手掛けているが、3作目「ほたる坂」はゆったりしたマイナーのワルツで彼女のもつ寂しさ・哀しさを強調したもの。4作目「天使ぼろぼろ」は一転してビートの強いアップ・ナンバーで初の男言葉による、やや不良っぽい世界を歌っている。5作目「多感日記」は等身大の女の子らしい世界を歌うカントリー・ポップ調の楽曲と、1作ごとに目まぐるしく作風を変えていった。だが、シンガー・ソングライター阿部敏郎が書いた6作目「歌を重ねて」から8作目「言問橋」まではデビュー時のフォーク調に戻っており、やはりこの世界が清水由貴子には最も合っていたように思う。シングルでは「お元気ですか」を超える名曲を生み出せなかったのが惜しいが、全曲阿久=三木作品で統一されたファースト・アルバム『ほたる坂から』は、A面が大正ロマンの世界を思わせる、徹底して練られた構成がとられており、ことに中盤に登場する「夢二組曲」は完成度が高い。阿久悠、三木たかしという稀代の作家が全力を傾け清水由貴子の世界を作り上げていることが、このアルバム1枚を聴けばよくわかるのだ。「赤いマント」「野菊の墓」などあまりにも不幸な少女の世界を歌った楽曲も、歌謡曲というよりは往年の童謡や唱歌の世界にみられる「不幸や悲しみ」を現代的に再現しているように思える。
その後、萩本欽一らの後押しもあり、女優あるいはバラエティタレントとしての仕事が多くなり、82年に『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラー出演、欽ちゃんバンドの一員として人気が上昇、共演していた小西博之とのデュエット曲「銀座の雨の物語」をリリースし、「お元気ですか」を上回るセールスを獲得した。
彼女がドラマやバラエティで見せていた明るい笑顔や情の深さ、どこか支えてあげたくなる健気さは終生変わらなかった。まさかああいった最期を遂げるとは誰が想像しただろう。彼女が世を去った2009年、既に阿久悠は2年前に逝去していたが、もう1人の恩師である三木たかしは「スター誕生でデビューする前にギターをプレゼントしたのを覚えています。ご冥福をお祈り致します。ゆっくり疲れた身体を休めてください」とコメントを残した。その三木もその1か月後に逝去、作り手・歌い手とも全員が鬼籍に入られたが、彼女の柔らかな歌声は今も「お元気ですか/幸せですか」と語りかけてくる。
清水由貴子「お元気ですか」「明日草」『ほたる坂から』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
小西博之・清水由貴子「銀座の雨の物語」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
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