2018年09月10日
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2018年09月10日
1972年9月10日、ちあきなおみの13枚目のシングル「喝采」がリリースされた。この曲でちあきは同年の「第14回日本レコード大賞」を受賞する。発売からわずか3ヶ月での大賞受賞は、当時の最短記録であった。
ちょうどこの1作前、「禁じられた恋の島」のセールスが芳しく無く、ちあきなおみはやや行き詰まり気味の状況にあった。「禁じられた恋の島」は、「喝采」と同じ作詞:吉田旺、作曲:中村泰士の組み合わせ。メロディーはイントロにクイーカを導入した明るいポップスだが、歌詞は家を出て男と駆け落ちをする女性が、待ち合わせの場所に男が来ないことを知り、今更生まれ故郷には戻れないとつぶやく、かなりヘビーな内容である。62年のイタリア映画と同名だが内容はまったく異なるので、ここからタイトルだけを借用したと思しい。
作曲者の中村泰士は、自著『まがって、シャン!』(遊タイム出版)で「最良のメロディー、ドラマチックないい詞だと思ったのだが、売れなければマズい」と反省の弁を述べている。もともと中村はデビュー時のちあきなおみの歌う姿を見て感銘を受け、彼女に曲を書きたいと日本コロムビアのディレクターに直訴したという経緯がある。満を持して登板した「禁じられた恋の島」は空振りに終わったが、コロムビア側は再び吉田旺と中村のコンビに次の新曲も依頼することにした。
中村泰士は曲を書くのに試行錯誤し2ヶ月かかってしまったが、冒頭の4小節が出来上がってからはすらすらと曲が出来上がった。曲調は自身の告白によれば「蘇州夜曲」と「アメイジング・グレイス」をモチーフにしているという。また、演歌や童謡などでは頻繁に用いられていたものの、当時日本のポップスでは珍しかった「ヨナ抜き音階」(メジャーペンタトニックスケール)を採用。そのメロディーに2行だけ詞を添えて吉田に渡し、「蔦が絡まる白い壁」「教会の前にたたずみ」を吉田旺が採用し、誕生したのが「喝采」である。
だが、リリースまでにもう一悶着があった。歌詞に登場する「黒いふちどり」という言葉は縁起が悪いと、中村やコロムビア側から吉田に歌詞を変更するよう提案があった。だが、吉田は「ここが核だから」と頑なに変更を拒んだ。そして、当初「幕が開く」というタイトルだったものを、コロムビアの担当ディレクター東元晃によって「喝采」に変え、リリースされた。ちあきはレコーディング時にスタジオのヴォーカルブースを黒いカーテンで囲み、誰にも歌う姿を見せず、裸足で歌入れに臨んだそうである。
歌の主人公は歌手。ステージの幕が上がる直前に、かつての恋人の訃報が届くという歌い出しで始まり、過去の回想部分の詞がサビに配され、1番では3年前の別れの場面、2番では葬儀の場面となり、再びステージへと戻る。絶妙に配された詞と曲のマッチング、全体の構成力がドラマチックに作用し、これがわずか3分半の中に収められているというだけでも奇跡である。そして「喝采」はちあきの実体験に基づいた「私小説歌謡」として売り出された。だが、これは彼女が前座歌手時代に兄と慕っていた舞台役者が急死した、という過去の体験をプロモーションに活かしたもので、「喝采」はあくまでフィクションである。こういった歌手本人の生い立ちや実体験に近づけた内容(フィクションの場合も含め)の詞を歌に投影し、ノンフィクション的に聴かせる「私小説歌謡」の手法は古くから見られるもので、この時代でも藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」や、三善英史「円山・花町・母の町」、あるいは山口百恵や豊川誕の諸作などがある。そして、「喝采」は発売直後からじわじわとチャートを上昇、惜しくもメガ・ヒットであるぴんからトリオ「女のみち」に阻まれオリコン・チャートの首位獲得はならなかったが、前述のように同年末の日本レコード大賞を、その時点で大本命だった小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」を抑えて獲得することになる。このオリコン2位は年をまたいでなんと12週間、約3ヶ月キープしたのであった。
「喝采」が大ヒットを続けている時期の73年2月25日、次のシングル曲「劇場」が、やはり吉田旺=中村泰士=編曲:高田弘のトリオで発表された。サブタイトルに「前座歌手の涙と栄光」とある通り、むしろこちらの曲のほうがちあきの「私小説歌謡」と呼ぶべき作品だろう。というより、「喝采」の大ヒットで、スタッフ陣が「私小説歌謡」のコンセプトをよりリアルに作り上げたのが「劇場」であったのだろう。ちあき自身も10代から米軍キャンプやキャバレー回りを経て、橋幸夫らの前座歌手をつとめていた経験があるので、まさに自身の過去を投影するかのような内容になっている。
現在、残されているライブ・アルバムのうち73年9月に渋谷公会堂でのステージの模様を収録した『ちあきなおみ ON STAGE』や、74年10月22日、中野サンプラザのステージを収録した『ちあきなおみ リサイタル』では、どちらも終盤のクライマックスでこの2曲が「劇場」~「喝采」の順で歌われている。「喝采」はイントロなしにスローで始まるスタイルがとられ、スタジオ録音よりも一層ドラマチックに表現され、ことにサビ部分では感情を激発させるかのように、圧巻の表現力で歌われている。逆に「劇場」のほうは本人の過去とシンクロする部分が多いのか、感情過多で、聴いているこちら側も苦しくなるような激情唱法である。
作り手、歌唱者、いくつもの芸術的感性が奇跡のようにぶつかり合い、融合して生まれた歌謡史上の名曲「喝采」は、歌い手が表舞台から去った今も、燦然と輝き続けている。
ちあきなおみ「禁じられた恋の島」「喝采」「劇場」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
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