2018年08月03日
スポンサーリンク
2018年08月03日
1960年代末、「愛の奇跡」でデビュー・ヒットを飾ったデュオ、ヒデとロザンナの5枚目のシングル「愛は傷つきやすく」がリリースされたのは70年5月25日。発売から2ヶ月以上経った8月3日付のオリコン・チャートで初の1位を獲得し、紅白歌合戦にも初出場を果たして彼らの代表作となった。今年デビュー50周年を迎えたヒデとロザンナの栄光の歴史を振り返る。
水木英二名義で東芝レコードからソロデビューした後、佐藤由紀(後のアン真理子)とのデュオ“ユキとヒデ”としてポリドールからでの活動を経て、出門英がイタリア出身のロザンナ・ザンボンと共に“ヒデとロザンナ”を結成したのは68年のことだった。10月にコロムビアから出された彼らのデビュー盤「何にも言えないの/愛の奇跡」は、当初は「何にも言えないの」がA面だったが、有線放送のリクエストをきっかけにB面の「愛の奇跡」に人気が集まり、AB面が逆転。ジャケットも新たに刷り替えられる。発売から実に4ヶ月後の69年2月には遂にトップ10入りを果たし、それから約2ヶ月に亘ってトップ10内をキープする大ヒットとなった。69年4月にリリースされた第2弾「粋なうわさ」は橋本淳と筒美京平コンビの作詞と作曲による作品、さらに同コンビでタイトルに“奇跡”が踏襲された第3弾「ローマの奇跡」と続き、4枚目のシングル「笑ってごらん子供のように」は佐藤由紀の作詞、出門英の作曲、つまりはユキとヒデの作詞・作曲で、「愛の奇跡」を作曲した田辺信一がアレンジを手がけるも、チャート100位圏外という結果に終わってしまった。ちなみにB面は橋本×筒美の「初めて人を恋した頃の」であった。
そこで起死回生の一発となったのが、5枚目の「愛は傷つきやすく」である。作詞は橋本淳だが、作曲に中村泰士が起用された。中村は“美川鯛二”の名で活動していた東芝時代、水木英二(=出門英)とレーベルメイトだった縁がある。ヴォーカルの掛け合いとなるサビが印象的な曲は、デビュー・ヒット「愛の奇跡」を想起させる強いインパクトがあり、かつての盟友へヒットを贈ろうとした中村の熱情が窺える。森岡賢一郎のアレンジの力も大きかった。結果、オリコンのウィークリーチャート1位を獲得し、年間チャートでも7位という大ヒットで、ヒデとロザンナの人気はますます拡大することとなった。その後も「ふたりの関係」「抱擁」「愛情物語」とヒットを連ね、コロムビア在籍時代の74年までに17枚のシングルと4枚のオリジナル・アルバムをリリース。75年からはワーナーへ移籍し、並行して出門英のソロ・シングルも出している。出門英は作曲家としても、小柳ルミ子が歌ってヒットした「星の砂」や、紅白歌合戦でも披露された森昌子「彼岸花」などに才能を発揮した。「星の砂」はヒデとロザンナもセルフカヴァーしている。
コロムビア時代、実は18枚目のシングル盤として発売が予定されていながらも未発売に終わった曲がある。それが「今からでも遅くない」と「別れてひと月」で、2003年にリリースされたCD『ヒデとロザンナ しんぐるこれくしょん』で陽の目を見ることとなった。同盤はほかに発掘された2曲と併せて4曲の未発表曲が収められた貴重なアルバムである。当時のレコードは曲のタイトルに横文字が併記されるケースが多かったが、ヒデとロザンナの場合はイタリア語と英語が混在し、「愛の奇跡」は「L'AMORE E UN MIRACOLO」、「愛は傷つきやすく」は「LOVE IS FREE」といった具合。さらに後になって再評価されている曲が多いのもヒデとロザンナの作品の特徴のひとつといえる。「ローマの奇跡」のB面曲だった「真夜中のボサ・ノバ」は、2011年にピンク・マルティーニ&由紀さおりが世界的なヒットとなったアルバム『1969』でカヴァーして広く知られることとなり、2012年に橋本×筒美作品のコンピレーション・アルバムのタイトルにもなった。約50年前の曲にも拘らず、今聴いてもまったく色褪せていない傑作である。ワーナー時代では、ユーミンが詞を提供した「追想」や「あなたとともに」も忘れがたい。ヒデとロザンナの作品は常に時代を先取りしていた。
ヒデとロザンナ「何にも言えないの」「愛の奇跡」「愛は傷つきやすく」小柳ルミ子「星の砂」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
1973年3月に「かくれんぼ」で日本コロムビアからデビューした石川さゆりは、当初はアイドル然とした佇まいで、山口百恵やキャンディーズと同期の新人であったが、すぐに人気を得るには至らなかった。その...
その年の日本の音楽シーンを振り返る年末の風物詩、日本レコード大賞もこの2018年で回を重ねること60回。現在は12月30日に開催されている同賞は、1969年から2005年までの36年間は12月3...
1972年9月21日、南沙織の「哀愁のページ」がリリースされた。5枚目のシングルで初のスローバラードに挑戦。有馬三恵子と筒美京平のコンビはデビュー曲「17才」の時点から従来の歌謡曲に ない斬新な...
1972年8月1日、郷ひろみが筒美京平によるR&B歌謡の傑作「男の子女の子」でデビューした。この「男の子女の子」は、当時所属していたジャニーズ事務所にとっても本格的にダンス/ソウル的な方向性を取...
本日7月31日は、岡崎友紀の誕生日。テレビ急成長期が育てた近代アイドル第1号と呼んでも過言ではない彼女も、今日で65歳を迎える。「おくさまは18才」からもう半世紀近くが経ってるなんて・・・。 t...
1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。この日から12週に渡って首位を独走、遂には71年の年間セールス1位を獲得するまでに至...
小柳ルミ子は宝塚音楽学校を首席で卒業した後、渡辺プロに入社し、1971年に「わたしの城下町」でデビューしていきなりヒットを飛ばした。72年の「瀬戸の花嫁」で日本歌謡大賞を受賞。その後も多くのヒッ...
ヒデキ、逝く。…1982年の本日、西城秀樹は通算42枚目になるシングル「聖・少女」をリリースする。作曲者は初めて起用された吉田拓郎である。互いに広島出身であるものの、デビューからしばらくは水と油...
1972年(昭和47年)の本日6月12日は、天地真理の3枚目のシングル「ひとりじゃないの」がオリコンチャートの1位を記録した日。その後計6週に渡って1位の座を独走し、売り上げ的にも真理ちゃん最大...
本日5月8日は、榊原郁恵の誕生日。還暦まであと1年というのが信じられない、親しみやすいキャラは今もなお健在。模範的アイドルとして、日本芸能史に燦然と残しておきたい一人だ。彼女のデビューのきっかけ...
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーに圧倒されるばかりだ。1971年本名の中島淳子名義でデ...
44年前、1974年(昭和49年)の本日4月20日は、伊藤咲子のデビュー曲「ひまわり娘」が発売された日である。73年10月、東芝のレコード部門・東芝音楽工業株式会社は、英国の名門EMIレコードと...
1977年(昭和52年)の本日3月28日、オリコン・チャート1位を射止めたのは、ピンク・レディー「カルメン'77」。「S・O・S」が、前年11月25日にリリースされてから3ヶ月近くかけてチャート...
1972年(昭和47年)の本日3月13日、オリコンチャートの1位に立ったのは、天地真理の2枚目のシングル「ちいさな恋」だ。作曲に浜口庫之助を起用し、短調〜長調への鮮やかな展開に高貴なムードが漂い...
1979年2月21日にリリースされ、3月12日には自身3作目のオリコン1位を獲得した西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」。本人がロスで聴き、気に入り、ステージで歌っていたものだが、...
本日12月29日は、今もなお個性派女優として存在感を振り撒き続ける岸本加世子の誕生日。もう57歳を迎える。その大女優にも、若き日のレコード活動があるのをご存じだろうか。text by 丸芽志悟
1977年の本日12月19日、オリコン・チャートの1位に立ったのは、ピンク・レディー6枚目のシングルとなる「UFO」である。「UFO」の1位は翌年2月20日になるまで続き、その後もしばらく、PL...
1976年11月15日、研ナオコの「あばよ」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲は研ナオコにとって初の、そして現在まで唯一のオリコン1位作品である。作品提供した中島みゆきは研ナオコが愛川...
1972年、普通の高校生だった栗田ひろみが大島渚監督に見初められ、映画『夏の妹』のヒロインとしてデビュー。それから約半年後の73年3月、彼女にとって出世作となった『放課後』が公開され、井上陽水が...
1970年代の男性アイドルを牽引した新御三家。そのひとりとして、野口五郎、郷ひろみとともに活躍した西城秀樹は、野性味溢れるワイルドな魅力で人気を博し、アクションを交えたナンバーを次々にヒットさせ...
今年でプロ生活47年目を迎えた野口五郎のポップス歌手としての事実上のデビュー曲。実際には演歌調の「博多みれん」に続く第2弾シングルであることはよく知られている事実だが、15歳にして夜の盛り場を廻...
1954年(昭和29年)の本日3月2日は、70年代のスーパーアイドル第1号、吉沢京子の誕生日。69年6月放映開始されたTBSのスポ根ドラマ「柔道一直線」で、桜木健一演じる主人公を一途に思うヒロイ...
一昨年(2014年)3月15日、安西マリアが亡くなったという衝撃のニュースが伝えられたのが、まだ昨日のことのよう記憶に新しい。デビュー曲「涙の太陽」がヒットし、妖艶なルックスで昭和の男子を魅了し...
ヒデとロザンナのヒデこと出門英は、もともと水木英二の名でソロデビューし、ユキとヒデのデュオ時代を経て、1968年に結成したヒデとロザンナでヒットを飛ばして一躍スターとなった。パートナーのロザンナ...