2018年08月10日
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2018年08月10日
1970年8月10日、ちあきなおみの5枚目のシングル「X+Y=LOVE」がリリースされた。オリコン・シングル・チャートで週間最高5位を記録、前作「四つのお願い」に続くヒットとなった。
代表作「喝采」や「紅とんぼ」「矢切の渡し」或いは「黄昏のビギン」など、歌謡史を彩る数多くの名唱を残したちあきなおみを知る者にとっては、「えっ、このタイトルがちあきなおみの曲?」と思われるのも無理はない。まるでアイドル歌手のようなタイトルである。詞の内容も、嘘をついたらさみしくて泣いちゃうとか、キッスを忘れちゃいや、いつまでも甘えたいとか、奥村チヨあたりが歌いそうなものなのだ。
ちあきなおみが今現在、我々が知るイメージを獲得したのは72年のレコード大賞受賞曲「喝采」以降のこと。デビュー当時の彼女のキャッチフレーズは「魅惑のハスキーボイン」なのであるから、最初は結構色っぽい路線で売っていたのである。ミニスカ姿のグラビアなども恒例だったようで、デビュー曲「雨に濡れた慕情」のB面「かなしい唇」は、青江三奈「伊勢佐木町ブルース」ばりの「あっあ、ああん」と艷やかなお色気唱法で歌われているのだ。作曲の鈴木淳によると、ヘレン・メリルやジュリー・ロンドンの歌唱法をお手本にしていたことによるものらしい。
ちあきなおみのお色気といえば、70年代後半、三菱のカラーテレビ「NEWダイヤトロンF」のCMに出演した際の「たっち・おん・ぱ」を覚えている方も多いだろう。この当時珍しかったテレビのリモコンを指して彼女がそう呼ぶのだが、この言い回しが妙に色っぽかった。この影響でリモコンのことを「たっちょんぱ」と呼ぶ人も出てきた、それくらいにお茶の間に浸透したのも、ちあきなおみのお色気表現の健康的な面白さのおかげではなかったか。ちあきなおみとお色気、というのは70年代の人たちの共通認識でもあった。実際、この曲の1曲前「四つのお願い」やその1曲前「モア・モア・ラヴ」もその路線であり、2曲後の「無駄な抵抗やめましょう」などは「恋の奴隷」など奥村チヨの傑作を書いてきたなかにし礼の作詞で、やはり奥村チヨ路線を踏襲している。「X+Y=LOVE」は、おそらく「四つのお願い」のヒットがもたらした余波から生まれたものであったのだろう。
お色気歌謡の全盛時代は、60年代後半の奥村チヨを最初のピークとするなら、その後70年にデビューした辺見マリが、よりゴージャスに表現することで革命的な変化を遂げ、その後山本リンダや夏木マリらの登場で70年代前半にはセクシー歌謡として一時代を築く。ちあきなおみの場合は、このジャンルに入れていいものか迷うところだが、セクシーというよりは愛らしく健康的なお色気、であったと言えるだろう。
この曲は作詞の白鳥朝詠が作曲の鈴木淳のもとに、面白い詞ができたと電話をかけてきて、詞のメモをとった鈴木は「なんじゃこれは」と驚いたそうである。まるで数学の方程式のようだと。Xは男性、Yは女性というわけで、セックスのメタファーとしてさらりと描かれており、これにポップな曲がついたこと、さらに際どい内容を、少しだけお色気フレーバーを混ぜながら歌うちあきなおみの歌唱法と相まって、多くの聴き手に好印象をもたれた。タイトルの摩訶不思議さも、ストレートなお色気歌謡にならず、おかしみを感じさせるのだ。
「方程式歌謡」とでも言いたくなるこの画期的なタイトルだが、その後森雪之丞が榊原郁恵に「アル・パシーノ+アラン・ドロン>あなた」を書き、さらにちあき哲也が山口百恵のアルバム『メビウス・ゲーム』に「E=MC2」を書いている。だが、1970年の歌謡曲としてはかなり斬新だったと思われる「X+Y=LOVE」なのだ。
この曲を歌うちあきなおみは、ちょっと可愛らしい。のちの情念を内に秘めたディープな歌唱法とは異なり、軽やかで余裕すら感じさせる、多幸感に満ちた歌唱なのだ。こういうちあきなおみも今となっては嬉しいものがある。
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」「四つのお願い」「X+Y=LOVE」「喝采」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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