2019年07月11日
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2019年07月11日
1988年7月1日に発表された岡村孝子の4枚目のオリジナル・アルバム『SOLEIL』は、同月11日付の業界誌『オリコン』アルバム・チャートで1位を獲得した。ソロアーティストとしての岡村孝子のブレイクシングル曲「夢をあきらめないで」を収録した前作『liberté』(87年)のアルバム・チャート最高位は5位。『SOLEIL』は彼女にとって初めて1位を獲得したアルバム。そして、その後92年の『mistral』まで、岡村孝子はアルバム・チャートで連続6作1位を獲得していく(セレクション・アルバム『After Tone Ⅱ』を含む)。
「夢をあきらめないで」は、もともと失恋の歌として書かれたものだったというが、頑張る人への応援歌として脚光を浴びていった。ちょっと乱暴に言えば、曲全体のテイスト、そして岡村孝子自身の清楚な雰囲気に、リスナーは、“頑張る主人公を見守る青春漫画のヒロイン”のような健気なたたずまいを見ようとしたのかもしれないとも思う。
そんなリスナーの期待をどこまで意識していたのかはわからないけれど、『SOLEIL』に収められている曲には、清楚で優しい雰囲気をもったミディアム曲やバラードが多い。
全体的にゆったりとしたバラード・アルバムというイメージがある『SOLEIL』だが、なかでも異彩を放っているのが1曲目に置かれている「TODAY」だ。愛する人と一緒に“今日”を生きていこうという曲のテーマもマイナー調のメロディラインも、岡村孝子らしさにあふれている。しかしそのサウンドは、なんとユーロビートテイストのエレクトロニクス・ポップになっているのだ。
編曲を手がけているのはベテラン萩田光雄。岡村孝子は、いつものように伸びやかな歌声で、どこかメランコリーの漂うメロディを素直に歌い上げている。その歌声と、無機質なエレクトロニクス・サウンドがからみあって理屈抜きに心地良いビート感が生みだされ、なんともキャッチ―なポップ・ナンバーに仕上げられている。
ちょうどこの頃、カイリ―・ミノーグの「ロコモーション」や「ラッキー・ラヴ」、マイケル・フォーチュナティの「ギブ・ミー・アップ」など、ディスコを中心にユーロビートの軽快なエレクトロニクス・サウンドが時代の音として脚光を浴びつつあった。ちなみにwinkがカイリ―・ミノーグのカバー「愛が止まらない~Turn it into love~」をヒットさせたのは、『SOLEIL』が出た後の11月だった。
「TODAY」は、ちょうど日本で盛り上がりつつあった新しいサウンドを取り入れることで、ダンス・ミュージックとしてのユーロビートとは一線を画した新しい時代の音像のなかに岡村孝子ならではのナチュラルな魅力を描くことに成功した意欲作だ。
「夢をあきらめないで」は、夢を追いかける人を見守る応援歌であると同時に、別れの歌でもあった。そのために、聴いていると主人公はひとところにじっと佇んでいるという印象がある。けれど「TODAY」の主人公からは、もっとアクティブなエネルギーを感じる。アクティブといっても、主人公はけっして力んでいるわけではない。むしろ自然体なのだが、そのナチュラルな姿から、日常の紆余曲折を抱えながらも愛する人と一緒に生きていくという、自立した女性の強い意思が伝わってくるのだ。
その意味で、「TODAY」は、社会の一線で働いている女性の視点で描かれたラブソング、まさに“今日”を生きている女性の歌なのだと思う。そんな「TODAY」から伝わるポジティブなイメージに、このサウンドが果たしている役割は大きなものがある。
時代をポジティブに生きる女性を描く「TODAY」、この曲が最初に置かれていることで、続くさまざまな愛の断面を描いた8つのバラードも、“今日”を生きる女性の歌たちとして新鮮に伝わってくる。そして、アルバムを一通り聴き終わった頃には、また最初の「TODAY」をリピートしたくなっている。まさに『SOLEIL』は、一度はまったらどんどん深入りしてしまうアルバムなのだ。
ちなみにチャート1位となったこのアルバムからは先行シングルとして発表された失恋ソング「Believe」、アルバムと同時に発表された「TODAY/輝き」、そして彼女の初のクリスマスソングとして12月に発表された「クリスマスの夜」と、全9曲中4曲(3枚)がシングルカットされている。しかし、どれもシングルチャート10位以内には入っていない。このことからも、この時期すでに岡村孝子がアルバム・アーティストとして評価されていたことがわかる。
『SOLEIL』は、男が聴いても十分に魅力的なアルバムだ。けれど、改めて聴きなおして、これは大人の女性のラブソングなんだと感じた。そして、この時代に本当の意味で仕事を持った大人の女性の内省的に響く、同じ女性からのメッセージソングは、あまりなかったんじゃないかとも思う。
この時代のしなやかに自立した女性のイメージを『SOLEIL』はナチュラルに、そしてポジティブに描いていた。そして、この頃から岡村孝子には女性ファンも増えていったような気がする。女性から女性へのさりげないメッセージ。その意味で、『SOLEIL』は時代にとっても大切なアルバムだったのだと思う。
去る4月22日、自身のオフィシャルサイトで急性白血病のため長期治療に入ることを発表したが、彼女の活動再開を祈るばかりである。
岡村孝子「夢をあきらめないで」「TODAY/輝き」wink「愛が止まらない~Turn it into love~」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
前田祥丈(まえだ・よしたけ):73年、風都市に参加。音楽スタッフを経て、編集者、ライター・インタビュアーとなる。音楽専門誌をはじめ、一般誌、単行本など、さまざまな出版物の制作・執筆を手掛けている。編著として『音楽王・細野晴臣物語』『YMO BOOK』『60年代フォークの時代』『ニューミュージックの時代』『明日の太鼓打ち』『今語る あの時 あの歌 きたやまおさむ』『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』など多数。
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