2019年06月21日
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2019年06月21日
1980年6月21日、松任谷由実の通算9作目のオリジナル・アルバム『時のないホテル』が発売された。これまでに38枚のオリジナル・アルバムをリリースしたユーミン史の中でも、全体に重たく暗い作品が多く、一見とっつきにくい印象があるが、ファンの間ではこのアルバムを支持する人も多い。そしてユーミンにとっては楽曲の制作法やステージ・パフォーマンスも含め、大きな転換期となったアルバムでもある。
このアルバムがリリースされた時、アナログ盤の帯にはこう書かれていた。
Featuring Masaki Matsubara on guitar solo
本盤の要となっているのは、松原正樹のギターの音色だ。1曲目「セシルの週末」のイントロから、マイルドで、きれいに歪む松原のギターの響きが、アルバム全体のサウンドを決定づけている。全体にハードで重い印象を受けるのはギターをメインにしたミディアム・テンポの楽曲が多いせいだろう。
ユーミンは本来ブリティッシュ・ロック少女であった。それがキャラメル・ママと組むことによってアメリカン・ロック的な土臭い音が融合され、特有の荒井由実サウンドを生むことになるのだが、ことに松任谷由実名義になってからの作品は、アメリカン・ポップスの要素が全体のトーンを大きく占めるようになっていた。そこへ来ての、松原のギターをフィーチャーし、初期の作品とは違う形で、ブリティッシュ寄りのユーミン流ロック・アルバムに仕上がったのが『時のないホテル』だった。
ジャケットのユーミンの写真は、ロンドンにある5つ星ホテル「ブラウンズ・ホテル」で撮影されたもの。ユーミンが傾倒していた英国カルチャーが、デビュー8年を経たこの時期、再び頭をもたげてきたといえよう。実際、このアルバムと連動したコンサート・ツアーのタイトルも『ブラウンズ・ホテル』で、公演では舞台上にエレベーターを配し、中盤でファンをステージに上げ、一緒にお茶を楽しむパートもあった。まだ日本人には馴染みの少なかった「アフタヌーン・ティー」の習慣を紹介したのである。
一方で、作詞術にも変化が見られる。もともとユーミンはシチュエーションを構築し、詳細な風景描写の中に主人公の繊細な心理を投影していく作詞スタイルで多くのリスナーの心を捉えてきた。出身地が八王子ということもあり、東京郊外の風景描写に長け、荒井由実時代の『14番目の月』などは、サバービアを描いたポップスの傑作アルバムである。78年の『流線形’80』では「ロッヂで待つクリスマス」や「埠頭を渡る風」「真冬のサーファー」といった、リゾートとドライブ・ミュージックを主体にポップな遊び感覚を歌に投影。さらに『時のないホテル』の1枚前、79年末リリースの『悲しいほどお天気』では、ラブソングというよりも「風景の中の主人公」を描く私小説的なアルバムを制作。作詞の描写力も究極に達した感があった。
『時のないホテル』では、そこからさらに踏み出して、ストーリーテラー的な作詞法を試みている。収録曲の多くが、物語性に富んだ内容で、いずれも短編小説のような趣がある。「Miss Lonely」は、未だに戦争から帰還しない恋人を50年も待ち続ける女性の歌だが、最後の最後に、この老婆が痴呆症を患っているのか狂ってしまったのか…とわかる仕掛けになっている。同様に「雨に消えたジョガー」は白血病で世を去った恋人を回想する女性の歌。この2曲に顕著なのは、Aメロが現在の主人公自身の描写、サビでは主人公の回想、という構成になっていることだ。
歌の中に回想シーンを挿入するスタイルは、ユーミンに限ったことではなく、例えばちあきなおみの「喝采」なども、この方法で作られている。ただ、ユーミンにはこれ以降、このスタイルが多くなっており、その点は作詞・作曲・アレンジが一体となった楽曲の構築力によるところが大きいのだろう。
さらに「5cmの向う岸」では、背の高い女性と、彼女より身長が5cm低い男性との出会いから別れまでが歌われ、3番まである歌詞のAメロは情景描写、サビはそれぞれ1番が恋人の背が低いことをからかい気味に指摘する女友達の言葉、2番は男性側の「やっぱり付き合うのは無理だよ」という別れ言葉、3番はヒロインの総括的な感想と、カメラが切り替わるように視点が移動する。「セシルの週末」も、主人公の独白と回想が、2番のBメロでは男たちの噂話に変化しており、こういったところも複眼の視点で作られているのだ。まるで一編の映画を見ているかのような、鮮やかな曲作りである。
こういった時制と視点を動かす「映画的な歌詞の作り方」が色濃く出たのが、前述の「Miss Lonely」や表題曲「時のないホテル」で、特に後者は東西冷戦時代のスパイ合戦を歌った内容で、完全に三人称で描かれている。こういう三人称視点の楽曲はその後も「街角のペシミスト」「ノーサイド・夏~空耳のホイッスル」など時折登場してくる。
ストーリーテリングの上手さが、最も如実に出ているのは、本盤のB面3曲目、7分14秒というユーミン史上最も長い演奏時間を持つ「コンパートメント」。オリエント急行をイメージさせる大陸横断列車に乗った女性が、失恋の痛手から車内の個室で睡眠薬自殺を図る歌だが、Cメロにあたる部分では、ファルセットによるヴォーカルで、酩酊するかのように感情を吐露し、さらにバックで男女の諍う声が聞こえてくる演出も特徴的。冒頭で睡眠薬を飲むための水が運ばれ、エンディングで薬を飲んで「朝ではなく白夜の荒野」にたどり着く(=つまり死)が、中間部ではすべてこの女性の心をよぎる思いが歌われている。ユーミンが自殺を扱った楽曲には「ひこうき雲」「12階のこいびと」「ツバメのように」などがあるが、その中でも群を抜いてヘビーな内容で、続くラスト曲「水の影」は、もともとシモンズに提供したナンバーだが、この流れで聴くと、まるで死後の世界を彷徨うかのように聴こえてくる。
こういう物語づくりの上手さは、前作『悲しいほどお天気』に収録された「DESTINY」の、安いサンダルに至るくだりで証明済みだが、Aメロ、Bメロ、サビのメロディー展開によって場面を区分けしてドラマを構築する作り方は、このアルバムから顕著になったようだ。
ユーミンの楽曲制作法は、自身が明かしたところによると、まずメロディーを作曲→夫でアレンジャーの松任谷正隆がアレンジを施す→その音のイメージに沿って詞を書く、という流れだそう。夫婦ならではの共同作業だが、サウンドイメージが出来上がった段階で詞の世界観に正隆がアイデアを出すケースも多いという。この流れで作られるがゆえに、詞と曲の構成がガッチリとはまったストーリー豊かな作品が生み出されるのだ。
そして、「よそゆき顔で」のヒロインにみられる、結婚が決まり昔の遊び仲間と距離を置く女性心理、「セシルの週末」の不良娘の更生、「5cmの向う岸」にみる「若い頃には人目を大事にしろ」という教訓など、コンサバ肯定ともとれる、独自の女性観=保守的なお嬢様的感性が、くっきりと現れたアルバムでもあるのだ。『時のないホテル』はかなり自覚的に、自身の音楽の方向性を決めた作品だったと言えるだろう。
ただ、ユーミン史の中で、この頃は低迷期にあたっており、ライブの会場も、地方では満席にならないことも多く、空席を睨み人型を念写するように歌った、と冗談めかして語っていたこともある。こういったバイタリティはリリースされる作品にも反映され、年2枚のオリジナル・アルバム制作はもとより、この1980年はアルバムのコンセプトと無関係にシングルを3枚もリリースしている。それまでシングルのリリースには積極的でなかったユーミンにしては珍しいが、この年に発表した「ESPER」「白日夢 DAY DREAM」「星のルージュリアン」の3曲はいずれもアルバム未収録(「ESPER」は後にアレンジを変えて再吹込されアルバム『REINCARNATION』に収録)。アルバムのコンセプトとは別に、貪欲にヒットを狙いに行ったことが伺える。大きな成果は収めなかったものの、このエネルギーの放出は、翌年の「守ってあげたい」の大ヒットと、アルバム『昨晩お会いしましょう』での、5年ぶりのチャート1位返り咲きという形で結実するのである。
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。
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