2015年06月21日

「伊代はもう50歳なのか」と日本中がつぶやく日がついにやってきた。

執筆者:丸芽志悟

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本日、6月21日は松本伊代の誕生日。1965年生まれである。


「伊代はもう50歳なのか」と日本中がつぶやく日がついにやってきた。
そうか伊代ちゃんはここでも82年組の先陣を切って50歳台に突入するのだなと思う。彼女が“花の82年組アイドルのフロントランナー”と呼ばれたのは、実際のデビュー日が前年の10月だったからだが、賞レース年度的には82年の扱いになるのが当時の慣例だったという。1年後には印象や鮮度が薄れてしまうかもというリスク込みでのフライング戦略だが、レコードを出す前からCMやバラエティで活躍していた彼女の場合は全くの杞憂に終わった。


そして1965~67(昭和40~42)年度生まれというのは、80年代前半デビューの女性アイドルにおける団塊の世代でもある。これはもちろん先行した松田聖子ら80年組の活躍に刺激されたティーンエイジャーが次々と“適齢期”を迎えたからだ。興味深いのは1966(昭和41)年のいわゆる「ひのえうま」生まれが、一般の女子よりも多い(というか目立つ)ように思えるあたりだろう。また田原俊彦の妹役を経てデビュー時のキャッチコピーが「瞳そらすな僕の妹」と、80年代アイドルの“妹売り”の面でも彼女は先駆者であった。


それにつけても“伊代はまだ16だから”のインパクトは絶大であった。そのため82年組のデビュー曲には歌詞やタイトルに自身の年齢を織り込む事例が続出、その影響は男子アイドルのシブがき隊「NAI・NAI 16」にまで及んでいる。実年齢以上に画期的だったのが個人名を自己言及するメタ構造にあり、まさしく80年代アイドルの特質を象徴するフレーズだったと言えるだろう。このように自身を客観視してキャラクター化する路線を極めたのが、同年に「私の16才」(これはカヴァー曲を改題したもの)でデビューした小泉今日子による「まっ赤な女の子」から「なんてったってアイドル」に至る作品群である。


「センチメンタル・ジャーニー」の作曲を手掛けた筒美京平にとって、松本伊代はデビュー曲から担当した最初の80年代女性アイドルである。少し鼻にかかった彼女の声質に同じ東京都大田区出身の大先輩である平山三紀と共通するものを感じていたかもしれない。編曲にはフュージョン系キーボード奏者だった鷺巣詩郎を起用、若手の気鋭アレンジャーを積極的に登用して斬新なサウンドを探求していく端緒ともなった。また作詞の湯川れい子は80年にシャネルズ「ランナウェイ」を大ヒットさせたのを契機に、訳詞とCMソングから歌謡曲の作詞へと本格的に乗り出しつつあった。筒美によれば“伊代はまだ”の部分よりも印象に残っているのは、Aメロとサビの両方で“センチメンタル・ジャーニー”のキメを使用していることだったという。続く2曲目は「ラヴ・ミー・テンダー」とスタンダード/オールディーズ路線のタイトルにこだわったあたりに、本業はベテランの音楽評論家だった湯川のバックグラウンドが窺われる。

松本伊代

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