2016年01月31日

本日1月31日は、石野真子55回目の誕生日。

執筆者:丸芽志悟

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本日1月31日は、石野真子55回目の誕生日。「100万ドルの微笑」なる謳い文句を引っさげてのその歌手デビューは、1978年(昭和53年)3月25日、シングル「狼なんか怖くない」によってである。その10日後のキャンディーズ解散から、松田聖子がデビューする1980年4月までの2年間は、「アイドル冬の時代」と呼ばれることが多いが、そんな2年間に於いて発表したシングル全てをオリコン30位以内に送り込んだ女性ソロアイドル歌手は、山口百恵・岩崎宏美と石野真子の3人だけなのである。前回の記事で取り上げた大場久美子さえ、最高順位は41位だ。筆者も熱心なファンとは言えなかったものの、最初の9枚のシングルはいずれも鮮烈に記憶に残っている。歌謡史全体から見ても、決して見過ごしてはならない一人なのだ。


百恵・宏美、さらにはピンク・レディーと同様、真子のデビューのきっかけは、今風に言えば「ジャパニーズ・アイドル」=あの「スター誕生!」である。歴代52組目となる同番組出身者のデビューに際して与えられたデビュー曲は、阿久悠作詞・吉田拓郎作曲という、あまりにも意表をついたコンビネーションの産物であった。既に「男は狼なのよ、気をつけなさい」とPLに歌わせていた阿久悠が、狼に変わる前の少年に対する淡い恋心をキャッチーなフレーズにまとめ、そしてニューミュージックの覇者と化していた拓郎が甘酸っぱいメロディーを付ける。森進一「襟裳岬」で拓郎が歌謡界に呼び寄せられた時と違い、この融合は衝撃的ではあったが必然でもあった。やっと垣根が取っ払われる時が来たと思った。でも、何にも増して成功の鍵だったのは真子の「親しみやすさ」だった。百恵や宏美や桜田淳子が成熟味を増し、考えようによっては神秘的な存在になっていく一方で、前年デビューした高田みづえ・榊原郁恵は庶民的な魅力を感じさせた。その傾向をさらに押し進めたのが石野真子、特にその「八重歯」だったのだ。その隙間からこぼれ出る初々しい歌声に、当時の少年たちは即時参ってしまったのである。


デビューから6枚目のシングル「ワンダー・ブギ」までは阿久悠作詞。中でも4枚目の「日曜日はストレンジャー」の完成度の高さときたら。モータウンのモチーフを取り入れながら、キャッチーなアイドル歌謡にまとめあげた筒美京平の力作である。かと思えば7枚目「ジュリーがライバル」では、堂々と時代の覇者・沢田研二へのオマージュを歌い上げ阿久悠に恩返し(?)、最大のヒット曲となった8枚目「春ラ!ラ!ラ!」では、別の女の出現で泥沼と化した恋愛模様を歌った百恵の「絶体絶命」の世界観をさわやかに破壊してみせる。阿久悠の元を離れてから、アトラクション路線が始まったのは興味深い。PLの成功でノウハウを得たビクターの売り方の上手さの賜物だろう。同時期にソニーが送り出した好敵手・西村まゆ子がシングル2枚で惨敗したのと対照的だ。


聖子登場・百恵結婚という激動の80年をも、ちょっぴり大人っぽさを漂わせつつもさわやかな存在感で乗り越え、コンスタントにヒットを放っていた真子にも、あっさりその時がやってきた。81年9月、長渕剛と婚約発表し、芸能界を一旦引退。20歳の花嫁となった。デビュー当時、拓郎のコンサートの前座に登場してブーイングを浴びた長渕にとっては、見事すぎたリベンジではないか。しかし去り際まですっきり爽やかだったという印象は確かにあった。結局その結婚も長続きせず、現在に至るまで真子の芸能活動は断続的ながら続いている。妹の石野陽子(現・いしのようこ)は、今では当たり前となったアーケードゲームとのタイアップを最初に行なった「元祖マルチメディアアイドル」として1985年にデビューしている。

写真提供:芽瑠璃堂

http://www.clinck.co.jp/merurido

石野真子

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