2016年01月06日
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2016年01月06日
本日1月6日は、大場久美子56回目の生誕記念日。一億人の妹と謳われた大アイドルも、いよいよ還暦が迫ってきたかと感慨深くなるが、紆余曲折を得ながら未だにアイドルとしての自覚を捨てず活動する彼女のスタンスは凄いなと思う。
14歳で女優デビュー以来、地道に知名度を高めていた久美子は、当時の慣例に従い(?)1977年6月「あこがれ」でレコードデビューを果たす。以後、1979年10月19日に歌手引退するまで、シングル9枚とアルバム7枚をリリース。量的にはトップアイドルに相応しいのだが、チャートでは彼女の大ブレイクに一役買ったドラマ「コメットさん」のテーマ曲「キラキラ星あげる」で記録した41位を超えることはできず。ピンク・レディーとキャンディーズに牽引されながら、山口百恵、桜田淳子、岩崎宏美ら先輩達が急速に成熟度を高めていた当時のアイドルシーンに於いて、彼女の言わば未完成なヴォーカルは寧ろ嘲笑の対象とされていた感がある。
個人的な話で恐縮だが、当時10代前半だった筆者も、PLやジュリーに夢中になりつつ洋楽ロックやニューミュージックに足を突っ込んでいた身なので、久美子の歌にまともに付き合おうとしなかった。ところが、21世紀初頭になって、突然開眼したのだ。その頃、音響的に変わったものを再発見しようという動きが仲間内で密かに高まっており、そんな中、迷カヴァーとして知る人ぞ知る久美子の「サージェント・ペパーズ~」(勿論オリジナルはビートルズのアルバムタイトル曲で、厳密には次に続く曲とのメドレーとなっている)が収録されているCDを見つけたのだ。何なんだこれは! そこから瞬く間に、中古レコード店で高値をつけることが殆どなかった久美子のLPを全て集めあげた。歌詞カードはボロボロで落書きが目立つものの、盤は殆ど未使用状態。これだけでも、当時の久美子ファン心理が読めてくるような気がする(笑)。
ファーストアルバム『春のささやき』は、チョコレートのCMソングに使用されて初めてのチャート入りを果たした3枚目のシングル「大人になれば」の余勢を駆って、78年3月にリリースされた。それぞれの曲があっという間に終わってしまい、彼女を歌い急がせようとするスタッフの苦労が偲ばれる。ただし、曲間には当時のアイドルのアルバムに欠かせない(!)ナレーションが収録されており、嬉しい水増し感が味わえる。ノーコンセプトな分、最も聴きやすいアルバムであるのは間違いないし、アイドル楽曲としての完成度の高さもこれがベストかもしれない。(トリビア: 歌詞カードに載せられている写真の一枚で彼女が手にしているアルバムは、エリック・カルメン『雄々しき翼』である!)
「コメットさん」放映開始に一週間先駆けてリリースされた4枚目のシングル「エトセトラ」(未だに彼女の歌唱といえば引き合いに出されることが多い曲だが、チャートでは53位止まり)をフィーチャーしたセカンドアルバム『微笑のメロディー』は、同年8月の発売。ファーストに比べると制作期間が充分にとれなかったせいか、彼女の歌唱に不安定さが余計に目立つような気がするが、それもまた媚薬のようなものだ。B面では18分半にも及ぶミュージカルファンタジー仕立ての冒険作「五つの鍵」にチャレンジしており、健気な演技者ぶりが味わえる。
12月リリースされた3作目『カレンダー』は、大滝詠一『NIAGARA CALENDAR '78』への一年遅れのアイドルからの返答(と言っても、殆どの曲の歌詞にはあまり季節性が感じられないのだが)。何と多忙な中、ロンドン録音を敢行しており、サウンド的完成度は高い。特に名曲「ミルキー・ウェイ」が収録されているのがポイント高し。昨今「ラグジュアリー歌謡」と呼ばれて再発見される類の源流が感じられる、ライトメロウな一曲だ。抑揚のつけ方を習得したと思しき数曲での歌唱にも花丸をあげたい。ナイアガラと言えば、翌年1月には「ハウスプリン」のCMで直接繋がったではないか!
その79年には、先述した「サージェント・ペパーズ~」の初出となるピクチャー・レコード仕様のベストアルバム『Kumikoアンソロジー』以下、4枚のアルバムをリリース。『アンソロジー』の最後に収録されているナレーションで、歌手引退を示唆する発言が早くも飛び出しているが、そこからラストコンサートまでの7か月間は、正に当日起こる嵐を予感させる如き展開となった。一人の少女がアイドルへと飛翔するまでをコンセプトアルバム仕立てで描いた5作目『カーテンコール』は、完全にシングルと切り離されて企画された野心的作品。ラストコンサートの翌月リリースされた6作目『ガラス窓の少女』は、イルカから書き下ろされたA面も含め、最後の踏ん張りといった感が強い。
そして、ラストコンサートの実況盤『さよならありがとう』は、最早ライヴアルバムではない、二度と来ない時代のドキュメント。深町純、石川晶以下、決して感情を受け入れることなくプロに徹している一流ミュージシャン達をバックに、彼女は「歌手・久美子」の終焉を素直に演じている。当然これを最後に歌手を引退したので、スタジオでの修正は一切加えられていない、ありのままの歌唱が記録されている。バディ・ホリー・マニアには「イッツ・ソー・イージー」が収録されていると一言伝えておこう(笑)。
この儚くも短かった久美子の歌手生活を総監督した東芝EMIのプロデューサー、渋谷森久氏にこそ、筆者は「日本のジョージ・マーティン」の称号を送りたいと思う。各アルバムのコンセプチュアルな演出(歌手引退後リリースされたベスト盤『Summer Holiday』に於いてさえ、曲間に効果音を加えたりして新しい生命を与えている)、いくら同名映画にインスパイアされたとはいえ、ためらいなく「サージェント・ペパーズ~」をカヴァーさせるところまで、ビートルズやナイアガラを十分意識しての結果だったかもしれない。もちろん、無邪気にその領域に踏み込んでいった久美子は、もうこの段階で一流の「女優」だった。一歌手・大場久美子は、その役名の一つに過ぎなかったのかもしれない。
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